マモノを1匹とザコ1匹
今回の決起は年金テロではない!
今回の決起は34年前、保健所に家族を殺された仇討ちである!
私はマモノ(元官僚)1匹とザコ(マモノと共生しているやつら)1匹を殺したが、やつらは今も
毎年、何の罪の無い50万頭ものペットを殺し続けている。
無駄な殺生はするな!!!
無駄な殺生をすれば、それは自分に返ってくると思え!
(毎日jp)
未だ小泉容疑者の動機などは曖昧だと考えますが、メディアなどに送った犯行告知文をいくつか目にしました。それらには「マモノを1匹とザコ1匹」殺したんだというように書かれていて、私にはこれが犬(家族)を殺されたことを犯行の理由にする人間の言葉とはとてもとても思えませんでした。
「マモノを1匹ザコ1匹」が殺せるのは、それが彼にとって価値がない存在だと考えられるからです。いえむしろ害悪だと思えるから殺せるのでしょう。
それはまったく「野良犬1匹」を価値のない存在と考えて処分する者の、むしろそれを社会に対して害だと判断して殺せる者の理屈と重なるものでしかありません。
「人間じゃねぇ、叩っ斬ってやる」と凄むのは時代劇の中だけで十分です。
誰かの理屈で家族を殺された者として、それがいくら理屈があるものでも自分には耐え難い(許し難い)ものであったという経験があったのかもしれません。ただそれを、単にはけ口を求めて他の人に同じ形で(より酷い形かもしれませんが)押しつけるという行為は、利己的というよりむしろ幼稚で残忍な行為です。こんなものに共感する人が出ていいはずはないです。
小泉容疑者は「大学に入ってから高級官僚は悪いやつだと思うようになった」などと供述しているということで…
(NHKニュース)
こういう考え無しの若者がかつては多くいました。誰かに吹き込まれた薄っぺらな正義感を自分のものとして語ってみせるだけの人間が。何万人とそういう人間がいれば、一人や二人はこうして取り返しがつかない軽率な行為をしてしまうものです。今や情けないと感じるのみです。
自分できちんと考える人間ならば、1匹を殺された怒りや悲しみをただただ他の「1匹」にぶつければいいのだと思うはずもないでしょう。もしいまだにこういう考え無しの若者がいるのなら、できるだけそれに水を差してやりたいものだと思えてなりませんでした。
誰かの理屈で被害を被る場合は世の中に多くあるはずです。その時どう考え、どう受け止めるべきかという答えは、おそらく一つではなくいろいろあるでしょう。ただこの容疑者が考えたものはその正解とは遠く離れたものだということだけは、私は確信をもって断言できると考えています。