わが子に「学校」はいらない?

 ⇒わが子に「学校」はいらない(AERA) - Yahoo!ニュース
 この記事がけっこうブコメを集めていて、その内容には批判的なものが多いようです。
 そのコメントには元記事の記述から「フリースクール」的なものとまとめた意見が多くありますが、このタイトルを見てすぐ自分の頭に浮かんだのはむしろホームスクール(Wikipediaホームスクーリング)のほうでしたね。
 実際には、既存の学校教育に否定的な向きの人がホームスクーリング的なものをフリースクールに求めるケースが書かれているという感じの記事に見えます。
 上のウィキペディアのホームスクーリングについての記述の中の

…教科書や机に拘束される学校環境を嫌う家庭、あるいはアナーキストや反体制主義者で学校組織に組み込まれるのを嫌う家庭の子どもも学校に通わない。前者は学校環境にしばられない興味本位の学習手段アンスクーリング、後者は反組織主義を念頭に置いた脱学校(デスクーリング)と呼ばれる。

 といったあたりとの親和性がありそうに思えました。(少なくともアエラがこれらのケースを採り上げたニュアンスにはそこらへんが濃厚なのではないかという印象があります)


 日本でのフリースクールには「専ら、不登校の子供の受け皿として、その学習権の保障や安心してすごせる居場所を提供する施設、さらに、通信制高校での学習をサポートするサポート校など、不登校の子供を対象とした、既存の学校とは異なる機関、施設」というニュアンスがあることを前提にしますと、上記記事に出てくる東京コミュニティスクール(TCS)はややそうした位置とは異なるもののように感じます。緊急避難的に使われるというよりも、積極的にオルタナティブな教育を与えようとするそうした位置づけです。(最後のほうに出てくる神戸フリースクールは従来型の延長という感じ)


 ただここで紹介される「オルタナティブな何か」がそう魅力的に思われない、と言いますか「小学校通いながらでも得られるんじゃ…(特に地方の学校なら)」と感じられるようなものが多く、自ら興味を発見していくとか「相手に伝える力、主体的に学ぶ力」というのも具体的に見える形で紹介されているようにも思えなかったのは確かでした。そこのところが目から鱗というように記事になっていれば、うさんくさく見える度ももう少し低くなったのかもしれません。


 実際、志が高くとも方向性が誤っていれば…という危惧は感じないではいられないのです、個人的には。この記事を読んだだけでは手放しで良いものと言えない〜どこか危うさを感じてしまうというあたりで、たぶんここらの「良さ」は言葉にはし難いものかとも思うのですが、それが伝えられて初めて賛同を呼ぶのではないかなというのが正直な感想でした。


 そしてアンスクーリング/デスクーリングが本当に必要だということが、ここから実感として読み取れないというのもあります。また、家庭ではなくフリースクールに通わせるという形で、本当にその脱学校の意図が果たせるものなのか、さまざまに疑問も。