システムとしての大学(院)

不適切な指導で大学院退学、学校に慰謝料30万円支払い命令

 浜松大大学院(浜松市北区)で指導教授から適切な指導を受けられず、単位を取得できずに自主退学に追い込まれたなどとして、浜松市内の30歳代の夫婦が、同大学院を運営する学校法人常葉学園を相手取り、慰謝料など計1334万円の支払いを求めた訴訟の判決が17日、静岡地裁であった。


 竹内民生裁判官は、「教授の対応は、要望や信頼に応える授業を提供する義務に違反する」として夫婦の訴えを一部認め、慰謝料として30万円を支払うよう常葉学園に命じた。


 判決によると、夫婦は税理士の資格取得を目指して2004年4月に同大学院経営学研究科に入学。夫は翌05年から働き始め、修士論文を提出するうえで履修が必要な「特別演習2」の授業に出られなくなったが、担当する男性教授から「特別演習2に出なくても、修士論文の提出を認める」と言われたため、その授業にはほとんど出席しなかった。

 しかし、夫が06年1月8日に論文を持参すると教授は書き直しを指示し、2日後の10日に夫が「論文を審査してほしい」と申し出ると、教授は夫の対応に立腹し、「特別演習2の単位を与えることはできない」旨告げた。夫は論文を提出できなくなり、自主退学に追い込まれた。(後略)
(2009年2月18日10時32分 読売新聞)

 こういうのを見るとシラバスや履修要項なんかの大切さが思われるんですけどね。
 「特別演習2に出なくても、修士論文の提出を認める」なんて指導教員の独断で決められなくなってきているのがこの頃なんですが、この程度の「裁量」がまかり通っていたんですよ10年、20年前は。そういう感覚がまだ抜けていない先生がいて、不幸にもそういう人に当たってしまったのが身の禍。もちろんそういう先生は、気にくわないだの態度が悪いだの個人的感情で態度を急変させるのも当たり前(これまた昔のまま)なので、何の迷いもなくそういう行動に出た。もちろんそれが認められるはずもなく、出るところに出たら負けたという次第。


 それにしても慰謝料30万円は少し安すぎませんか?浜松大学大学院の初年度納入金は1,031,500円、2年次は710,000円で合計1,741,500円(テキスト代、諸雑費別)で、何と言っても人生の貴重な2年間の一定の期間が無駄になってしまっているんですから…(→学生募集要項 大学院経営学研究科


 かつてはいろんな話がありました。指導教員との(個人的)関係で大学院に行った何年かを棒に振ったとか何とか。パワハラの最たるものだったでしょう。もし裁判所が所属する大学側の共同責任を認めるようになれば、セクハラと同様に大学側の締め付けでもっと勝手な教員はいなくなるだろうことは想像できます。
 ただ「いい先生」もいたのは確かで、先生と喧嘩したけど「入学するときに世話すると言ったから気にくわないけどアカポスを探してあげた」なんていうことが美談のように語り伝えられたり…。これもまたよく考えると妙な話なんですけどね。
 聞いた話で悲惨なのは、まだ文系院生に博士号を与えないのがデフォだった頃に、イギリスから来た院生が5年経っても6年経っても博論を出させてもらえずに「部屋で変死」していたことがあったとか、ほとんど自死であろうと言われていた噂などもありました。
 

 最近は「シラバスは契約だ」みたいな言い方が出てきて、以前は適当に書いとけみたいな扱いだったシラバスをきちんと書かなければならない(そしてきちんと履行しなければならない)ようになってきているみたいです。科目別満足度調査なんかでも「シラバス通りの授業がなされたか?」という項目があったり。
 もちろん一部の優れた先生にとっては「角を矯めて牛を殺す」ことにもなりかねないんですが、教員の専横に泣く学生を減らすためには致し方ないことなのかとも思います。上の記事のような教員はもう要らないことにしなければならないのでしょう。その先生個人の業績なんかは関係なく。ちゃんとシステムとして大学や大学院が機能するためには、です。
 でもまあ同時にアカポスの採用が公明正大なものになって、コネを使うとか何とかも同時に排除されるべきものとなりますから、競争競争のしんどい学生生活になるでしょうね。従来の形が良かったとか思う人も当然出てくることでしょう。
 理不尽な嫌がらせがそうそうあるとも思いませんが、確実に一定のそういう被害者が出てしまうということでしたら、教員の権限は(悪いところも良いところも含めて)縮小していくべきなのかもしれません。取りあえずこの浜松のご夫婦には同情させていただきます。