景気刺激派ついに破る

 開府以来およそ百年、八代将軍に吉宗をいただいた頃の江戸幕府の財政はほとんど枯渇し、大名や旗本の窮乏も深刻なものであった。この深刻な経済危機に対して吉宗が取った政策は勤倹、つまり徹底的に倹約に勤めるという方向のものであり、それで足りないところは諸侯に対し「万石につき百分の一の上げ米を課」したり、年貢の検見制をやめて定免制に移るといった増税路線だったという。(定免制…年ごとの豊凶による年貢の減免や増額を止め、過去十カ年の収穫量を元に一定の額を決め納入させるもの。)
 もちろんその他に新田の開発を奨励して生産力の増大を図ったり、米切手の転売を許可するなどして米価のつり上げを試みたりなどもしていた。(このため吉宗は八木将軍>米将軍とも言われた)
 また貨幣政策に関しては前代を踏襲し、悪貨を回収して貨幣の品質を高めるという方向で行われた。(享保三年閏十月、乾字金百両に対して新金五十両で引き替えという記録がある)
 倹約及び貨幣価値の安定化という方向は、財政の健全化によって経済危機を乗り切ろうとする発想のものであったと言って良いだろう。(>「勧農抑商」・「貴穀賤金」)


 これに対して敢然と異を唱えた者がいた。その筆頭にはもちろん御三家の一つ尾張藩徳川宗春がいる。彼の名の宗の字は吉宗から贈られたものではあったが、彼の治世の理想は吉宗とは異なったものであった。宗春はむしろ景気刺激策によって沈滞した経済を立て直そうと考えたのである。その刺激は財政出動によるものというよりも、規制緩和による民活を主としたものであった。
 先代の継友(将軍継嗣で吉宗の後塵を拝した)以来の尾張の治世は、遊所や芝居が禁止され倹約だけが奨励される暗いものであったが、「惣じて見物場所へ立入り候儀、少しも苦しからざる事に候」などと言って宗春は芝居や遊所の禁を解き、祭礼や寄合の制限を除いていった。またその方針の変化を周知するため、彼本人が人目につく派手な行動を取って、沈滞した藩の空気に新風を入れていったのだ。(享保十六年七月、宗春は白牛を買い入れて寺社参詣用に使った。その白牛には目の覚めるような猩々緋の羽織を着て、黒の唐人笠を被り、五尺ばかりの煙管をくゆらせる宗春の姿があったのである)


 折しも美濃・尾張の農村地帯で生産力が高まってきていたことと相俟って、この改革開放路線は火に油を注ぐがごとく名古屋の経済を発展させていった。盆の祭りの賑わい、芝居小屋の隆盛、三味線・尺八・笛など音曲の流行、遊女街の繁盛…宗春襲封以来わずか一年のうちに、名古屋は激変していったのであった。

 老若男女貴賤共にかかる面白き世に生れあふ事、是只前世利益ならん、仏菩薩の再来し給ふ世の中やと、善悪なしに有難し、有難しと、上を敬ひ地を拝し、足の踏締なく、国土太平、末繁昌と祈楽み送る年こそ暮行きける
 (『遊女濃安都』)


 しかしながら、当然吉宗の方針に背くこうした倹約に逆行する政策が見逃されるはずもなく、享保十七年五月、吉宗は滝川播磨守元長と石河庄九郎政朝を詰問の使いとして尾張に遣わした。
 だがその詰問に対しても宗春は堂々と反論をしているのである。

 江戸入国入ともに物数寄花美をすれども費なし。故に花美却て手下の助となる。
 国に法度繁からねば、罪人もなく、盗人の愁なければ、火難もおのづから遠ざかる。
 先代の借金は済ませども、新に借る事なし。
 町人には加役をかけず、百姓には納を薄く受る。
 国に札遣ひを始めず、民と共に世を楽しむ
 武役知行の納めを押ゆる事をせず、百姓町人の金銀を借りず。
 然れども何に不足もなし。自由なり
 他の目には驕り者と見ゆる共、倹約を行ふしるしなり。
 (『享保尾州上使留』)


 だが彼の寛大で自由な施政方針は、きちんと理解され受け入れられたわけでもなかった。与えられた自由に我を失い、華美に過ぎ驕った者たちが出てきてしまったのである。そのため元号が元文に変わる頃、宗春は芝居小屋の制限や遊郭の一カ所への集中など規制強化に乗り出さざるを得なかった。
 さらに経済的繁栄を藩の財政に直結する有効な手段を欠いていたため財政の窮迫は止められず、とうとう尾張藩は元文三年八月、一万五千両の百姓人別金を課し、同十月、名古屋・熱田・岐阜などの町人に三万五千両の上納金を命ずるに至ったのである。改革路線での財政の立て直しはほとんどここに失敗した。
 そして藩内の百姓・町人に不満の気が動いたのを見逃さなかった吉宗は、元文四年一月、宗春に隠居慎を命じて彼の反対者を葬ったのであった。宗春の幽居は、その二十五年後彼が六十九歳で亡くなるまで続いたのである。


 …というようなことを、経済に明るい人に書いて欲しいなあと思ってちょっと試しに書いてみました。以前にNHKの『その時歴史は動いた』でこのネタを見た覚えがあったからです。これはただ中公文庫の『日本の歴史17 町人の実力』だけを下敷きに書き流したものですから、もしかしたら間違いなどあるかもしれません。
 緊縮財政派と景気刺激派の葛藤なんて今に続く面白い経済局面かなと感じているのですが、残念ながら素人にはこの程度という次第で、ぜひどなたかお願いしたいと思っています。