さいたま市図書館の「心を潤すこの一冊」。100冊の本が子供たちに向けて選ばれているのですが、このうち読んだことがあるのは32冊ありました。
 そしてその中で直接「親のおかげで読めた」のではなく、自分で入手(あるいは借りて)読めたと言えるものは

 銀河鉄道の夜		宮沢賢治 
 星の王子さま		サン=テグジュペリ 
 赤毛のアン		L・M・モンゴメリ 
 モモ			ミヒャエル・エンデ 
 はてしない物語		ミヒャエル・エンデ 
 ゲド戦記		ル=グウィン 
 ぼくらの七日間戦争	宗田理 
 100万回生きたねこ	佐野洋子 

 の8冊でした。もちろん間接的におかげをこうむったというのはあるでしょうが、取りあえずその時の選択が自分で直接行えたと確かに言えるものはこのぐらいです。
 逆に言えばこの三倍の本は、ある程度あの人たちが親だったから読めたと言えないこともないわけで、その意味では感謝に価するというべきなのでしょう。相当楽して潤せました。


 ただし読ませていただいたから学歴がつけられたのか?というとそれはわかりませんし、まして文学部などに入るということ自体、ある意味意図を離れて(?)逆効果だった部分もありそうなもので、親には改めて感謝したい反面、よくも読ませてくれましたね…というところだってないわけじゃあありません(笑)
 さらに言えば学歴をどう活かすかも個人次第。私だって別に自分のそれを就職につなげてはあまり思っていなかったんです。その証拠に(笑)結局卒後三、四年ほどは中学生相手の学習塾で働いて暮らし、「そろそろどうかな?」って塾長に就職を仄めかされたあたりで「いいんだろうか?」とまじめに考え、それで大学院に行ってみようと思ったという経緯があります。


 結局運命は初期条件だけで決まったものではないんじゃないか、というのが今のところの自分の考えです。
 友人の中にもハンディキャップがあればこそいまだに燃えていられる…という逆境バネの人もいますし、こういうのは半分は自分の選択と考えてもおかしくないと、まあそんな具合に考えています。
 いじける時は全部誰かの所為にしたくなりますけどね。