論点先取の文章が何故少なかったのか

 今でこそ学術的な文章では論点先取にすべきだ(結論を冒頭に述べるべきだ)というのが常識になっていますが、ほんの二、三十年前あたりまでは(文系の論では特に)結論を最後に持ってくる文章が多かったように記憶しています。今でもこの傾向は少なからず続いているのかもしれません。評論文なら今でもそういうのが若干多いのかなとも感じます。
 これは文学的な文章において、読者に追体験してもらって、それを「理解(共感)」につなげようとする文章作法があって、その弊が論理的な文章にまで染みついてしまっていたのではないかなと考えています。


 白洲正子さんのインタビューで、

 文章は書いちゃいけないって、消すことが多い。それを教えてもらったんですよ。
 小林秀雄さんとか青山二郎さんとか、怖い先生たちに。
 やっぱりおしゃべりしちゃいけないっていうことなんですよ、結局は。
 そいで自分がいっちばん言いたいことを黙ってると、それを読者は感じるっていうの。


 その一番言いたいことを文にしちゃったらもうそれは駄目だって言うの。
 その思いが入ってずっと書いていかなくちゃ、その、言ってしまうと読者が感じないっていう。
 だから、任せるからどうにでもお取りなさいっていうふうに(自分の文章は)してます。
 (NHK あの人にあいたい「白洲正子」より)

 こういうことを言っているから小林秀雄の文章は難しかったのか(笑)というのは冗談ですが、実は自分でもここに書かれていることに共感しないでもない気持ちは確かにあります。また論文的なものだって、自分の思考の変遷についてきてもらって、そして最後に「ああそうか」と発見なり納得を追体験してもらう。それが一番理解してもらえたように感じられる気も。


 あと、概念的なもの(言葉)の定義が厳密じゃなかった(いまだにそういうのが多くある)というのも一つの理由でしょうね。最初に結論的なものを書いても、その内容が正しく伝わるとは限らない。ひととおり文章を読んでもらった上での結論ならば、自分がその言葉に込めたニュアンスや意味が伝わるはずだと。
 逆に言えばよく耳にする概念でも定義付けがいい加減だったり、勝手読みの意味が付け加えられていたり、独特の使い方になってしまっていたり。こういうのが特に文系の文章には多いというのがあったのだと思います。そういう場合にはなかなか論点先取で結論を提示しておくのが難しいことになるからです。


 白洲さんの文章は説明的なものでもどこか文学的で、しかもそれが芸になっているところがあると感じます。でも凡百の評論家の文では単にぐだぐだ何を言っているかわからない的なものも多かったなあと。文学の香りがある文章なんて、ほんとうは誰にでも書けるものじゃないでしょうしそんなに多いはずがないんですから。
 これが大きく変わっていくには時間がかかるでしょうし、何より語義を明確にしていくという作業が必要になってくると思います。誤解も少なくなるでしょうし、妙な論争がなくなっていくのは有難いことなのですが…