カースト制度

 紀元前1500年頃にアーリア人のインド進入があった…とは高校の世界史で習うところの事項。その時異民族を征服しつつインドに入ったアーリア人が、ヴァルナ(=肌の色)の異なる人々を支配・統治するために作られたのが、いわゆるカースト制度の原型と考えられるヴァルナ制度でした。
 しかしこの制度が、長い歴史の中で宗教的な色彩を持つ社会秩序維持のための階級制度に変わっていく道筋は複雑なもので、さらに今なお地域によって状況は同一ではありません。


 「カースト」という言葉の語源は、意外なことにポルトガル語の「カスター(血統・家柄)」です。16世紀以降にインドに進出したポルトガル商人などが現地の複雑な階級的職業制度に触れ、それを理解しようと呼び始めた語が後にイギリス人にも引き継がれ、「カースト社会」なる言葉として現在も使われているのです。
 高校の授業では「カースト=ヴァルナ(四姓)」のように誤って教えられることも多いようですが、身分の違いを言うこの「カースト」はむしろインドで言う「ジャーティ(生まれ・出生)」にあたります。


 世襲の職種を持ち、互いに婚姻可能で、食卓を共にし得る社会集団。これが「ジャーティ」と呼ばれるものです。現在インドでのジャーティは細分化を続けていっているとも言われます。*1

 インド全土でその数二千とも三千ともいわれるジャーティの種類や上下関係には、地方によってもかなり大きな格差があり、いちがいに同名ジャーティを同列に論じることはむずかしい。近年、専門の研究者たちの調査・報告に、しばしば「○○地方の○○村の場合は」という但し書きが付されているのはこのためである。したがって、巷に氾濫するインド旅行記に紹介されている「カーストの実態」は、たまたま旅行者の目にとまったカースト社会の断面図にすぎないことが多く、それをもってただちにカーストの全体像を推し量ることはできない。
(森本達雄『ヒンドゥー教中央公論社、pp.144-145)

 実際、イギリス統治下のインドで藩王(マハーラージャ)と言われた支配層にも、例外的には下層カースト出身者もいたということで、「支配階級と高カーストは必ずしも同義語ではない」(A・C・ブーケ)という研究者の言葉もあります。

 ヒンドゥー社会では、バラモンクシャトリヤなどの上流家庭だけではなく、低カーストの富裕な商人の家でも、しばしばバラモンの料理人が雇われているのを見かける…。これは一般にカーストに敏感なヒンドゥーが、自分より低いカーストの料理人の作る食物を口にすることを嫌うため、バラモンの料理人を雇っておけば、どんな身分の来客にも対応できるとの配慮からである。
(前掲書、p.133)

 こうなってくると高校の世界史で仕入れたぐらいの知識で何かをいうのも憚られるほどわからないですね。

 カーストというと一般には、古代からきびしく固定された不動の制度のように思われがちであるが、現実は先に述べたように、ヴァイシャやシュードラのような比較的下層カーストの内部では、かならずしも不変というわけではなく、流動的でさえあった。すなわち、下位のあるジャーティ集団全体が、高位カースト儀礼や菜食主義、禁酒、寡婦の再婚禁止といったバラモン的慣行を採りいれて、カーストの浄化をはかり、上位カーストへの参入をめざそうとする動きは、いつの時代にも見られた。

 このように、下位カーストの集団がみずからのステータスの向上を志向する動きを、インドの社会学者M・N・シュリーニヴァースは「サンスクリタイゼイション(サンスクリット化)」と呼び、学界の注目を集めた。この傾向はとくに、イギリス植民地支配のもとで伝統的なヒンドゥー社会が大きく動揺した十九世紀にいちじるしく見られた。
(前掲書、p.146)

 もちろん私も大した知識を持つわけではありませんが、「自分はよくそれをわかっていない」ということだけはわかっているつもりなのでした…

*1:カースト」という言葉がインドで全く使われないということでもありません。身分制度としてのヴァルナの大枠の中での職業・結婚・食事を共にする排他的な社会集団を表す便宜的な一語として一般化もしているそうです。