倹約至上の気分

 これは民主党がどうだとかいうことに限定できないのですが、どうにも財政的に何らかの問題があるときは「節約・倹約」が真っ先に(そして決定的に)重要だと思ってしまう方々が少なからずいるようです。
 この気分は「入るを計って出ずるを制するならば常にその国は豊かである」という江戸期の儒教的な物言いに遠くつながっているような気がします。(さらに言えばリーマンショックをはじめとするアメリカ発の危機を「商は詐なり」とでもいうように倫理的批判を加える向きにも同様の傾向が…)


 ただ、今の日本にそれほど儒教的雰囲気が濃厚というわけでもないのは事実で、それならば何がこうした発想につながっているのかと考えれば、もしかしたらそれは給与所得者的発想ではないかとも。
 つまり定期的に入ってくる収入は決まっていて、大過なく日々を送れさえすればずっとその日常は守られるはずと思ってしまうような発想。もし金銭的に困ったことがあっても、とにかく倹約して亀のようにじっとやり過ごせば、いずれまた財政は好転すると考える方向。
 明日は食えなくなるかもしれないけれど明後日には収入は十倍に、というように才覚や運を頼みにするのではなく、ひたすら隠忍自重することこそ美徳としてしまう考え方ですね。


 後世に江戸の三大改革と言われた「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」がすべて緊縮財政による財政安定化を図ったもので、どれも倹約志向、あまつさえ風紀・風俗の取締りや出版統制も行われたということなのですが、そんな「改革」が何となく思い出される今日この頃。ちなみに確かこれら改革は一時しのぎにはなっても結局永続的な成功はしなかったとか、百姓町人に一層の負担が強いられて怨嗟の声があがったとか、悪いことしか思い浮かんできません(笑)。
 自民党政権の一部、そして今の民主党政権とどうしても「改革派」は「入るを計って出ずるを制する」方向にばかり目を向けるようで、しかもそれは支持する一定の層がいるからそうなってしまう…と思わなければいけないようです。


 そういえば尾張徳川宗春公、ああいった試みを大胆に行おうという政治家は出てこないものでしょうか…
 ⇒景気刺激派ついに破る(過去記事)