儒教あれこれ その1

 東アジアの人々の生き方に影響を今なお与えているとも言われる儒教、そしてその中の朱子学について、ちょこちょこ調べたもの、耳に入ってきたものを残しておきたいと思います。

儒教

 紀元前6世紀孔子に始まる儒教はもともと一つの哲学と考えられるようなもので、秩序の維持−調和を善きものとしています。そしてその点で為政者にとって好ましい内容を持つといえるものでもあり、孔子に対する畏敬とあいまって国の宗教ともなって、後には周辺国にまで広まりました。
 儒教は人間関係に調和と安定を求めるものでした。それは人間関係を調和に導くために社会生活の全てを儀礼化し、日常生活の様々な局面に意味を持たせることを目指しています。儒教の教典から先祖崇拝や天地の崇拝も言われますが、儒教はあの世に理想郷を求めるものではありません。その崇拝儀礼は秩序ある現世を維持するために広がる世界観の表現としてあります。先祖から綿々と続く世代的(時間的)秩序、そして宇宙の端々まで意味づける空間的秩序を支えるために儀礼(的確認)が行われるのです。
 この既存の秩序、序列を乱すことなく調和を求めるという側面が為政者にとって有利なものであったことは否めません。ですが、統一王朝が現れる以前の群雄割拠する春秋時代の理想としては、無理からぬものであったとも思います。あと儒教の浸透を後押しした要素としては、儒学が後代の科挙制度に取り入れられたということも忘れてはいけないでしょう。

朱子学

 宋の時代、教典の字句を離れて思想的・宗教的*1儒学を体系化しようとする宋学がおこりました。この動きの先駆者は北宋の周敦頤(1017〜1073)と張載(1020〜1077)でしたが、南宋朱熹朱子)(1130〜1200)によって大成された儒学朱子学と呼ばれるものです。


 朱子学では、この世の存在に「聖人」・「君子」・「小人」・「禽獣」・「草木」の差別があるとします。この別は「気」の清濁に応じてつけられるとされたものです。
 そして、より優れたものがより劣ったもの(気が濁ったもの)を統治するのは当然であるとします。これは現状肯定型の統治イデオロギーとして働きます。「知足安分」などという言い方で「分をわきまえた」生き方をその地位に即して行なえと、それを越えてしまった場合には私欲に陥るから、高望みはするなというのがその基本的な教えです。


 朱子儒教は「理気二元論」と呼ばれますが、彼は存在というものを「理」と「気」の合体から説明しました。全てのものには明澄な理が天から分有されています。が、万物の素材をなす気には清濁があり、それによって曇ったものは天からそれだけ遠いとされるのです。
 最も濁ったものは器物・モノです。次は草木で、頭(根)を下にしているほど劣っているとされます。次が禽獣、動物で、頭が横についていると考えられます。頭が上の人間でも、小人は気が濁った卑しい存在。その上の君子は気が澄んでいる。その分だけ理の光が増し、道徳の知性が輝くとされます。それゆえ君子のみが卑しい他の存在を徳治できるのです。
 そしてさらに小人の上に俗人・善人という階梯を置いたり、君子の上に賢者・聖人を置いて差別化は徹底していきました。調和を重んじる平和的な願いが、いつしかただ序列の正当化(というより序列の生成装置)になってしまっているような気がしますね。朱子学にはこういう側面もあるのです。

おまけ 韓国の「嫁の七悪」

 これは韓国旅行などすれば、大抵ガイドさんが説明してくれるものだそうですが、儒教の教えに即して…という前置きで話されるネタだといいます。

 一悪 男の子を産めない(女子をいくら産んでも無意味)
 二悪 夫の若い愛人に嫉妬をする(若い愛人ができたら「夫によろしく尽くすように」と忠告)
 三悪 義父母への孝行をしない(嫁と姑のけんかなどは考えられないそうです)
 四悪 浪費(あれがほしいこれがほしいとねだってはならないということです)
 五悪 慈悲の心がない(決してヒステリーを起こしてはいけません。常に優しく優しく)
 六悪 直らぬ病にかかる(不治の病や悪い伝染病に絶対かかってはならない。嫁は看護するもの)
 七悪 夜の寵愛を夫にねだる(しつこく迫ってはいけません。早く若い愛人にまかせなさい)

 別にこれらのことを朱子が言っていたわけではもちろんありません。あくまでも韓国の民間の言い伝えとしてこういうことが言われていただけです。ですが、女の子は結婚前にこのどれか一つでも該当したら、離縁されても仕方がないと教えられて育てられていたそうです*2

*1:宇宙の原理とは?人間の本性とは何か?

*2:けっこう古い話だそうですが

五四運動の日

 時事に関しては語るものに乏しいのですが、今日の一日だけはじっと中国を見ていました。五四運動*1のことで反日暴動がまた起るかもしれないと危惧したからです。
 現時点では騒乱は起きていないようです。とりあえず力を抜いていいかと思いました。上海だけで数万の日本人が暮らしているとのことで、事が起きれば皆無事とも限りません。リスクを背負って出ている方ならまだしも、妻や子、中国に対して何の悪意もない人たちまで危害が及んだら本当に取り返しがつきません。中国に対する怒りがちょっと戻れないくらいまで湧くかもしれませんでした。これで暫時気を落ち着けることができます。


 憎しみが向けられて、それを流すだけ私は修行ができておりません。その憎しみに理不尽さを感じればなおさらです。実は反日暴動以来、どこか心安らかでない自分がありました。結構小さい時以来、中国に親しみと(憧れも)勝手に感じていただけに、怒りは複雑でした。しばらくは中国に行くこともないでしょう。残念ですが…
(もしかしたらもう行かないかもしれません)


 今回の件に絡んで、マスコミや政府を含めてみななぜおとなしいのか、オトナなのかなあと思いました。なぜ怒りがないのか。もしくはなぜ深い悲しみがないのか。
 日本ということ、日本人ということ、日本人に関わるということだけで攻撃を受けるということは、決して他人事ではないと私などには思えてしまいます。そんなに軽いことなのでしょうか?


 とりたててカウンターで通州事件を持ち出すこともありません。私にとってはそれもまた歴史上のことです。でも、今「日本」が攻撃されているのならば、当然感情の動きがあってしかるべきと思います。
 ここで一旦気を抜くことができてよかったのかもしれませんが、中国政府が躍起になって手を打って押さえ込んだだけだったら、結局は同じことの蒸し返しがくるだけとも考えます。
 このことについては、考えをまとめる必要を感じています…

*1:1919年5月4日の北京の学生デモを発端として中国全土に波及した運動。パリ講和会議で日本の対華二十一箇条要求が承認されたことに反対し、政府にベルサイユ条約の調印拒否を約束させた。