民主主義は少数意見を尊重する?

 先の日曜の朝、TBSのサンデーモーニング(でしたか、関口宏の番組)の終わりの方のコーナーで、一般市民へのインタビューという感じで初老の男性にマイクが向けられていました。聞くともなく聞いたその発言は、

 日本は民主主義だというけど、富める人とそうでもない人の差はあるんじゃないかな

 ちょっと唖然…。
 民主主義って、貧富の格差を無くすことを本義とするものでしたっけ?
 しかもこれはライブでのインタビューではありませんでしたから、これを選んで全国に放送したTBSの番組制作者側もそう思われているのでしょうか?


 私は民主主義について、基本的には「等価な一票(言い換えれば平等な個人)が意志の集約をして、多数の支持を得たものに(>多数であるという理由をもって)正当性を与えるシステム」だと捉えています。ここではプロトコルとして少数意見の表明の権利が得られ、言論による多数派形成の機会は与えられますが、最終的には多数を占めたものに全意見が集約され社会を動かしていくことになります。(過去日記


 これは、王や貴族など少数の者が質的に上位であるとして支配権を得ていた世界をひっくり返すための思想的仕掛けであり、一人一人が等価という価値観のもと多数派であった一般民衆が自分たちの政権を作り、その正当化を可能にする理屈であったのだと考えます。
 多数であるがゆえに義とされるという発想は多分に功利主義的ですが、これは偉人または少数の選良のみを主役と考えその他の人々は受動的な群集にすぎないとする発想*1を封じることのできる思想でもあります。


 さて、それにしましても「少数者の意見を大事にするのが民主主義だ」という類の言葉にはよく出会います。しかし少なくとも少数者であることというのは、それだけでは民主主義の仕組み上、重視されるはずがありません。フランス革命において少数者の王侯貴族の意見が重視されたでしょうか? アメリカ独立戦争において少数者のイギリス王党派の主張が尊重されたでしょうか? そのどちらも多数派である民衆や植民地人が勝利して、正義を高らかに宣したのではなかったでしょうか?


 そんなことを考えて上の言葉に違和感を感じていた私ですが、どうやらこの「少数者を大事に云々」と民主主義をつなげて語る発想が、トマス・ジェファソンの政治思想あたりから影響を受けてきたということもありそうだと最近思うようになりました。
 ふとしたきっかけで1801年のトマス・ジェファソン合衆国新大統領の就任演説を目にすることがありましたが、そこでは次のようなことが述べられています。

 All, too, will bear in mind this sacred principle, that though the will of the majority is in all cases to prevail, that will, to be rightful, must be reasonable; that the minority possess their equal rights, which equal laws must protect, and to violate which would be oppression.


 私たちは心にこの神聖な原則を抱いていなければならない。すなわち、多数派の意志が常に通されるものではあるが、その意志が正しくあるためにはそれが筋の通ったものであることが必要であり、また少数派は同等の権利を有し、その権利は同じ法によって保護されなければならず、少数派の権利が侵害されるならばそれは圧政なのである。(試訳)

(※演説の原文 First Inaugural (1801) Thomas Jefferson


 政治思想としてのトマス・ジェファソンの著作に明るい方のご意見を伺いたいところですが、こうした政治信条が伝言ゲーム(?)のように伝わっていくうちに


 「少数者の意見を大事にするのが民主主義だ」


 というような言説を生み出したのではないかという気がしたのです(思いつきですが…)。ただ引用したジェファソンの言葉でも多数派の意見に全体が従うのは当然とみなされており、少数派に与えられた権利も当該の問題に関する特権ではなく、判断(が異なったこと)に対する不利益を受けないための権利ということです。
 要するに私は、民主主義は少数意見をまるめる(もしくは切り捨てる)ところをもった仕組みであり、全員を満足させるものではないけれど、多数を満足させるという点で「ましな選択」だと考えているのです。ですからそれを何か万能の、理想的なものとして思考を停止させている方々には、いつも不思議な感じを抱いてしまいます。

 誰にも民主主義が完璧、全知であるなどと言えはしない。事実言ってみれば今まで時々に試してきた政府形態を全部除外したとしたら、民主主義は最悪のものだ。
 (ウィンストン・チャーチル

*1:たとえばファシズムなど

これは気になる

 飛鳥部勝則さんの小説「漫画と類似」 絶版・回収に

2005年11月08日11時39分

 原書房(東京都新宿区)は7日夜、同社が今年出版した飛鳥部勝則さんの小説「誰のための綾織(あやおり)」の中に、故・三原順さんの漫画「はみだしっ子」(白泉社)に類似した表現が十数カ所あったとして、「誰のため〜」の絶版・回収を決め、同社のホームページにおわびを掲載した。

 9月に、読者からとみられる指摘のメールが同社に届き、社内で調査し、飛鳥部さんにも確認した。ホームページには「素材カードに該当部分が紛れ込んでしまった」との著者の見解を載せた上で、「『許可を得ずに一部表記を引用した』と判断した」としている。
(asahi.com


 どこが「はみだしっ子」だったのでしょう?

 さらばよし、論理の赴くところ何処へなりと行こうではないか

 この引用にしびれた当時を思い出します。とりあえず三原さんに合掌…

追記

 そういえば、私がプログレというかELPを聞くようになったのも

 ナット・ロッカー聞きたい

 の一言からでした。

蛇足

 私はいきなり絶版・回収というような対応が定式化するのには反対です。
 からかいの言葉ではなく「オマージュ」とか「インスパイア」みたいなことはあって良いとも思います(明記すればですが)。


 [こちら]にいわゆるまとめサイトのようなものがありました。「はみだしっ子」が忘れられるよりは、盗みに近いものではなく捧げる行為として(つまり引用や参照をはっきりすれば)、この類似はあってもよかったし、個人的な許容範囲だったかもしれません。

さらに蛇足

 やっぱり似てるところを何度も読むと怒りが…あ、だめ。
 絶版はやり過ぎだと思うけど、これを引用・参照・言及なしにというのは、やはり許容しがたいものが感じられますね。理性が溶けてるので、明日また比較を読んでみます。

もう寝ますが

 [こちら]はもっと早い段階から気付かれていたような…。
 許せるか、許せないか、どんどん迷ってしまっています。