『秘められた能力を引き出せ〜広がる知的障害者の雇用〜』視聴

 今日のクローズアップ現代を見て、自分の認識がかなり限定されていたなあと強く思いました。知的障碍を持っているという人がこれほど「千差万別」で人によるのかと…。
 いわゆるIDIOT SAVANTという存在についてはそれなりに知っているつもりでしたが、かえってそれが超特殊な能力を持つ知的障碍者の人もいるという感じで整理されてしまって、むしろそれぞれの障碍は異なるという明らかなことに対して考える邪魔になっていたのかもしれません。
 この類の偏見は、まず実際に見てみるということが最もそれを抜ける力を持つでしょう。今日のこの番組を見た人はそれぞれ衝撃的に自分の偏見に気付かされたんじゃないかという気がします。情緒障碍と違って知的障碍のケースでこれだけの職業とのグッド・マッチングを想定していなかった私にはこれは本当にそう働きました。


 ただ、視聴後の感想として「適材適所がうまく行けば凄いものだ」ということと同時に、「適材適所を見つけるのは大変だろうな」ということも考えさせられたのは確かです。理想的なマッチングが誰にも(すぐ)得られるものではないんじゃないかと。
 「適所」を得られた知的障碍者の人の可能性については相当学ばせていただきましたが、それこそ「データ入力」であるとか「名刺作成」であるとか、ピンポイントでそれぞれ適性がある職を見つけて、そこにはまるということができた今日の彼らは、考えるだけでかなりの運や努力を必要としただろうなという感じです。そしてもしピンポイントでのマッチングがなければ、いまだに彼らは少しの自尊心も持てぬままに能力を使う場を得られなかったのかもしれないと思うとぞっとしないでもありません。彼らに祝福したいのと同時に、今なお良いマッチングを得られない何千という知的障碍を持つ人達のことを考えずにはいられませんでした。


 そして考えを広げれば、これは何も知的障碍を抱える抱えないの問題でもなく、一般の若者でも「自己評価」が傷つけられ、自分にあった能力を発現できず、暗い表情にならざるを得なくなっている人も多いのだろうと思わざるを得ません。
 ちょうど今日速水健郎氏の『自分探しが止まらない』を買ってきて読みかけなので、そう考えられたのでしょうか。この本についてもいろいろ考えさせられることがありますので、一両日中には何か書きたいです。


 それにしても本当に障碍の程度とか、できることできないことは人それぞれと思った方がいいんですね。中学の時に「附属養護学校」が併設していて、バスとか何とかで彼らと接触する機会が多かったというのが却って「知ってるつもり」を作り出していたかもと反省しきりです。

魔羅はMāra

 サンスクリット語のMāraの音写で「魔羅」という言葉ができました。

 修行中の釈尊を誘惑しその成道を妨げようとした魔王の名。
(中略)
 なお、男根を〈まら〉というのは、〈魔羅〉が諸悪・諸煩悩の根元であることからの転義で、もと僧侶の隠語だったとされる。ただしこの語源説については、排泄を意味する和語〈まる〉よりの転訛とする異説もある。
(岩波『仏教辞典』)

 まあどうでもいいんですけど(笑)
 魔羅はmalaではないということだけ…
 無駄に知っていると自由な発想が制限されるかもしれないということでもあります。

買わねばなるまい

 ちょっと前に「噂」としては聞こえてきていましたが…
十二国記:6年半ぶり新作「丕緒の鳥」発表 小野不由美の傑作ファンタジー

 累計700万部を発行する小野不由美さんのファンタジー小説十二国記」で、最新作「丕緒(ひしょ)の鳥」が27日発売の文芸誌「yomyom(ヨムヨム)」6号(新潮社)に掲載されることが明らかになった。01年9月発売の短編集「華胥の幽夢(かしょのゆめ)」以来6年半ぶり。
 (中略)
 「丕緒の鳥」は、同誌のファンタジー小説特集に合わせて書き下ろした作品で、「慶国」を舞台にした原稿用紙90枚分の短編。今後の単行本出版などは未定。【渡辺圭】
 2008年2月19日

 もう新作は期待しない…とか寂しく思っていましたが
 まあこういうものは一度書き始めると次々にアイディアも湧いてくるものと(希望的観測で)思えますし、とりあえず期待してもいいですか?


 それにしても慶の「過去」(赤楽以前)でしょうか「現在」でしょうか「未来」(後日譚ぽいもの)でしょうか。それもまた気になるところです。うちのそばの書店で「yomyom」は売ってなかったんじゃないかということも気にかかります。


 確かにヨムヨムNEWSに告知されてます。

特集は「ファンタジー小説の愉しみ」
小野不由美十二国記」新作『丕緒(ひしょ)の鳥』
90枚を一挙掲載。
果たして丕緒とは……?

 あと一週間ですね。