支離滅裂
時々自分の書いたものがぐちゃぐちゃでうまくまとまらないと思えます。ひどいものはもちろん日記には書かずに没にしますが、多少ましなぐらいのものを勢いで書きつけてしまうこともあるのも事実です。
よくないなあ、勢いだけだなあ、とそういうのは恥ずかしく思うのですが、たまにその「勢い」だけでも面白いと思っていただけることもあって、自分の配慮なんか本当に大したことがないと感じたりします。
ぐちゃぐちゃ、めちゃくちゃと言えば「支離滅裂」という四字熟語が想起されます。そしてこれを思うたび、私はいつも笑いをこらえることができません。
それは、ずっと前に立ち読みした「冗談辞書」の類で
【しり・めつれつ】
お尻がめちゃくちゃに裂けて切れていること
とかいう記述で大笑いしたことを思い出すからです。さらにそこには
【こっぱみ・じん】
こっぱみ星の住人
なんていうのもあって、一人で書店の片隅で腹を折って笑い苦しんでいた自分がいまだに浮かんできます。
あれは何という本でしたか、確かラジオの深夜放送から作られた「辞典」だったはずですが…
件の件
「あの本に書かれていた○○のくだりだけど…」というように用いられるくだりの語は漢字で書くと「件」になります。(文章の記述の一部分という意味)
これを「下り」と書いてしまっている人は意外に多いですね。
もちろん「○○の件」と書いてしまえばほとんど「けん」*1としか読まれないだろうことは想像できますので、自分では「くだり」という表現を書きたいときは専らひらがなを使っています。
この語「くだり」が音便化したものが「くだん」で、「依って件の如し」など文章語で使われるものでした。前に書いた文面を指す言葉として用いられ、「例の」という意味でも使われるようになります。
もともとの漢字は形声文字として考えられていて、人と音符牛(牽の省略形)とから成ります。「牽」はよりわけるという意味を持ち、「件」も物事を分けていうという意味を持っていたそうです。漢文の動詞的用法では「わける」「区別する」ということになります。
ただこの字面、人と牛とがくっついている…ということから「くだん」という妖怪が本朝では考えられていまして、私は小松左京の『くだんのはは』で知りましたが、そんなに古くない昔に「未来を予知する牛の形をした人」として西日本中心に噂が広まっていたとのこと。
件(くだん)の話は子供の折に聞いた事はあるけれども、自分がその件にならうとは思ひもよらなかつた。からだが牛で顔丈人間の浅間しい化物に生まれて、こんな所にぼんやり立つてゐる。
…
件は生まれて三日にして死し、その間に人間の言葉で、未来の凶福を予言するものだと云ふ話を聞いてゐる
(内田百間*2「件」1921)
【参考】
⇒件(くだん)
⇒「件」(Wikipedia日本語版)