背骨問題

 増田 ⇒ 大学院の教授がクソだと言われる一つの理由
 これを読んで、deztecさんの
 ⇒ 大野左紀子さんをコピペレポート問題から解放する(かもしれない)授業案
 を思い浮かべました。


 たぶん問題点は似ていると思います。「自分で考える学生」「背骨がしっかりした学生」を大学生に望む教員(側の視線)と、それは抛っておいて作られるものではなくて、教員側が何とかできるものじゃないの?というやり取り、と思えたのです。
 年代や環境が違うと見えるものが違ってくるという話なのかもしれませんが。


 「卵が先か鶏が先か」ではないですけれども、自信(背骨)がどこかでできなければ自信をつけることもできない(すなわち自信がなければいつまでもそのまま)という構造は確かにあると考えます。自信をつけるプロセスに入るためには、先に自信を持っていなければならない…とでもいうような逆説的な状況があるんです。
 本当に人それぞれどこかでそのブレイク・スルーがあったりするんですが、一度そこを抜けると自信が無かった頃のことは記憶に無くなってしまう、そんな傾向もありがちかも。


 あと、単純に「内側から発信」―「外側に従属」というモデルを取って良いときと悪いときがあるとも考えています。その「内側」はどうしても「外によって作られた」ものなのですから。
 適当なところまで「外」から吸収し、適当なところで「外」を切って「内」を信じなさいとか言われても、その適当なところはどこなんですか?とかいろいろ疑問は提起されるものです。ほどよく「外」を信じたり「内」を信じたり、そういう適宜な選択というものが最初からできる人はまずいないと思います。それが出来た(と思えている)人は、最初の増田さんの記事に書かれているみたいに「自分はどうだったのか」「今どうしているのか」を含めて後進に教えるべきでしょうね。
 おそらく(憶えているかどうかは別にして)どこかで自分もそうやって教わったはずなんですよ。

自分がやられて嫌なこと

 「自分がして欲しいことを相手にする」というのは時々いらないおせっかいにもなりかねないもので、好みや願望が人それぞれであることを考えると、これは「自分がやられて嫌なことは相手にしない」という若干消極的な姿勢にしたほうが(より)普遍性はありそうだと考えたりしています。
 もちろんそれは単純に好悪の問題として考えても良い事柄に限ります。つまり相手は嫌がるかもしれないけれど必要なこと(職務上のことなど)については、好悪だけでする・しないを決めることもできません。たとえば子供は宿題をいやがるだろうけれども、ある程度の宿題は出したほうが良いと判断される…とかいった具合です。


 ただこの「自分がやられて嫌なことは相手にしない」ということ、人によってはかなり難しいことのようで、頭に入っていないのか違ったことが考えられているのか、そこらへんを配慮してないなあと思われることをしばしば見かけます。強制したいわけではないのですが、これはより多くの方々に採用されれば結構住み易い世の中になりそうないい金言だと思われます。


 大学なんかでのパワハラアカハラ問題、結構記事でも見かけます。全体の学生・教員の絶対数に比べれば少ないものとも言えますが、実は問題化していない分もかなりあると思われますので(自分でも見聞きしたことは少なからず…)十分問題視できるだけの量があると判断します。
 それらの報道の中では「大学院生に対し威圧的な言動をした教員」がアカデミック・ハラスメントで問われるという図式があるようで、それぞれのケースでどこに「威圧的かそうでないか」の線引きがあるのか、記事だけではよくわからない時もあって、悩ましい問題だなあとしばしば感じます。
 それなりに威圧的とも思える先生などいくらでもいました。人間性(というより人あたりですか)と業績は案外関係なかったりしますから。


 何か思い出すのは院生の時の同じ研究科の某先生。直接私が関わることは少なかったのですが、担当されている院生の某氏から、いかにあの先生が身勝手で権柄づくでダブスタで適当か…というような愚痴をさんざん聞かされました(金払いは良かったそうです <それは結構いい取柄)。全部鵜呑みにすることもしませんでしたが、自分はあの先生に付かなくて良かったと思ってしまったのは確かです。
 その方なんですが、実は別の先生からふと伺ったところによると「昔さんざん苦労した」ということで、特に(別の大学でですが)助手をやっていたときに上の方からかなり酷いいじめのような扱いを受け、よくあれで耐えられたものだと傍で思われた云々ということでした。
 でもそれじゃあ、自分がやられて嫌だったことを繰り返してしまっているみたいだ…と少し感じました。経験が実にならない人っているものですね。話に聞く体育会系の集団で、代々きつい(無意味な)しごきが繰り返されるとかいう話を思い出したり、イスラエルのことが頭に浮かんだり…

岩佐又兵衛

 昨日、BShiで「夢の美術館 江戸の名画100選」の第一回を見たのですが結構面白かったです。(正月の番組の再構成だそうですがそちらは未見)
 で、その中で大和絵岩佐又兵衛が描いた「山中常盤物語絵巻」(重文 MOA美術館蔵)が紹介されていて、まあ何と言いますか奇妙に写実的な殺害描写がある絵巻物でした。この絵巻物は全12巻、すべてつなげれば150mを越える超大作だそうで、牛若丸伝説を主題にしたもの。
 こちらに「美の巨人たち」で採り上げられた時の紹介文や画像がありますが、お話の筋立ては「若き牛若丸が奥州に行き、その身を案じた母の常磐御前が後を追う。しかし常磐は美濃の山中で盗賊に襲われて落命。その後偶然その場に泊まることになった牛若の夢に母が出現し仇討ちを願う。牛若は盗賊たちをおびき寄せることに成功し、全員を殲滅する」といったもの。
 常磐御前が殺害されるところも、復仇のため盗賊を斬る場面も、血飛沫が飛び身体はばらばらに切断されるといったとてもリアルなグロテスクさをもっていまして、これは確かに奇作であろうと感じます。
 そして番組の中で、戦国武将の子供として生まれた岩佐は幼い頃に母を含めた一族が惨殺された経験を持っていて…ということが語られまして、思わず「デクスター」を思い出してしまいました。(←我田引水)


 さらに少し検索してみたところ、何とこの岩佐又兵衛荒木村重の息子であったという事実がわかり、かなり驚きました。信長に(不可解な)反旗を翻して、結局一族皆殺しになってしまった荒木村重の謀反については、説得に遣わされた黒田官兵衛が一年も土牢に閉じ込められていたエピソードとともにいろいろな歴史小説・文学作品で目にしていたものです。
 村重本人だけが秀吉の時代まで生き延びていたのは知っていましたが、まさか息子が高名な絵師としてその後活躍していたとは全くの初耳。
 MOA美術館には一度だけ参りましたが、この絵巻は常設されていなかったはずです。特別展でもあれば、もう一度訪れてこの絵巻を見たいものだと思いました。