産婦人科医銃撃

 カンザス州の中絶医が教会で射殺、大統領が非難声明発表(CNN)

 米カンザス州ウィチタ市内の教会で5月31日午前10時過ぎ、人工中絶手術を行う産婦人科医が銃撃され、死亡した。警察が明らかにした。


 死亡したジョージ・ティラー医師は妊娠後期の中絶手術を行う米国でも数少ない医師の1人で、16年前にも自身の診療所付近で銃撃された。この日は教会の案内係を務めていたところを襲われ、教会の入口付近で遺体が発見された。 (中略)


 オバマ米大統領は声明を発表し、「中絶のような難しい問題をめぐる国民の溝がどれほど深いとしても、暴力という凶悪手段で解決することはできない」と事件を厳しく批判した。また司法省によると、ホルダー司法長官は連邦裁判所の執行官らに対し、中絶反対派の標的になる恐れがある人々や施設の保護を指示した。

 類似の事件はたとえば1993年に起きています。この年はクリントン大統領が「中絶の自由および受精卵研究を容認する宣言を発表」した年で、これに対抗する形でプロライフ派の人間が中絶クリニックの医師を殺害するという事件が起き、それは多くの生命倫理関係の文献に載っています。


 アメリカではプロライフ(生命尊重派…赤ちゃんの生命尊重。中絶反対を主張)とプロチョイスもしくはプロライト(選択権派…親の選択の自由を尊重。中絶の自由を主張)の相反する二つの主張がぶつかり合っています。
 前者のプロライフは往々にして宗教右派・宗教保守と言われる層、あるいはアメリカのプロテスタント福音派と重なるとされ、逆にプロチョイスはリベラル派・フェミニズム支持派に多いとされます。


 ただ誤解してはならないのは、プロライフ対プロチョイスの構図はアメリカで「宗教対無宗教」の対立構図ではないということです。プロライフを主張しつつも敬虔なクリスチャンではない人もいれば、プロチョイスを支持しつつ篤実なクリスチャンである人もいます。
 狂信者は宗教的信条以外のところにももちろんいるもので、思想の左右を問わないでしょう。自らの主張のためにテロ行為をするのには嫌悪感を持ちますが。


 記事中の「妊娠後期の中絶」がなぜ問題になるかといえば、これは中絶に関する「三期説」に由来するもの。胎児の中絶はすべて殺人だという主張と、母親の自己決定権が何より優先されるべきだという主張の間にこの三期説はあります。
 それは妊娠期間を三期(およそ三ヶ月ずつ)にわけ、最初の三ヶ月までは中絶の自由を認め、真ん中の第二期は母体の健康保護のための法的規制も可能とし、最後の第三期には「胎児の母体外生存可能性(viability)が発生するため」原則として中絶を禁ずるとする考え方です。
 これは1973年のアメリカ連邦最高裁判所におけるロウvs.ウエイド判決で採られたものとして有名です。それまでテキサス州法は母親の生命が危険な場合を除いて中絶を禁止していました。これに対してこの法は合衆国憲法に定めるプライバシー権(自己決定権)に反するものだという訴えがなされました。連邦最高裁の判決は、テキサス州法の違憲性を認めながら、州の保護義務と母親の自己決定権を調停するもので、ここで三期説が採用されたのです。
 この判決以降、アメリカでは折衷的なこの三期説をモデルとした州法が次々に立法化され中絶の自由化が進みました。ただしアメリカでは人工妊娠中絶は日本で考えるよりはるかに社会的タブーの性格を持っていて、論議はさらに拡大し先鋭化します。
 そして1989年、ミズーリ州法に関する新たな判決が連邦最高裁でくだされます。
 ミズーリ州も上記ロウ判決以後中絶を承認していました。しかし次第に中絶制限の方向での法律改正が進んだのです。たとえばそれは「妊娠20週での生存可能性の検査義務化」や「中絶手術の実施や助言に対する公的扶助・公的機関の使用禁止」などなのですが、これは中絶に対する女性のアクセス権を大きく侵害するものであり、違憲なのではないかという訴えがなされたのでした。連邦地裁や控訴裁判所では違憲だという判断がくだされ、当該州法の執行停止命令が出されていました。
 しかし連邦最高裁の判決は「ミズーリ州法の中絶制限法はロウ判決に反せず、合憲である」というものでした。このため、本判決以降何らかの形で中絶を制限する州の数が増加することになったのです。


 妊娠後期の中絶を手がける医師は、三期説からいってもかなり過激なプロチョイス側の人だと思われます*1。プロライフの過激派がこうした人を殺すのは、この一人を殺せば何百何千もの中絶(彼らにすれば殺人)を阻止することができるのだという(歪んだ)信念に基づくものだということも聞いた覚えがあります。
 しかしながらこのテロ行為に効果はあるのでしょうか?


 今回、中絶に容認的な民主党大統領の登場でプロライフの中の過激な一部が実力行使にでたという読みはおそらく正しいと思います。ただオバマ大統領はここで一方的にプロチョイスを支持し、自己決定権を拡大していこうという主張を持っているとも見受けられません。むしろこういうところで国論が割れ、不毛な争いが起きるのを極力避けたいという政治態度なのではないでしょうか。
 ですからむしろここでオバマ大統領に旗幟を明らかにさせるような行動をとることは(おそらくそれはプロチョイスに近いものになるはずですから)、結局は逆効果ということになりかねません。プロライフ側が一般の支持を広げようという考えを持つなら、なおさらこうした過激な行為は忌避感を拡大するものでしかないでしょう。


 いずれ他国の人々の選択ですので傍から今後の進展を見守るしかないでしょうが、少なくとも主張のためのテロ行為はみっともないもの(場合によっては逆効果)というところを他山の石として、日本は日本で考えるしかないのだと考えています。

*1:もしかしたら主張云々よりも経済的なことを考えられているのかもしれませんが…

「こうのとりのゆりかご」の番組

 録画を視聴。
 新たにわかったのが、あずけられた42人の三倍にあたるぐらいの相談が親などから寄せられていたということ。
 番組では「赤ちゃんポスト」という言葉の連呼。
 呼ばれたゲストは三人ともややこの仕組みに否定的という感じで登場(一人だけ親の気持ちもわかるというポジションか?)。


 子供を連れてくる母親に共通のことを見つけた、とする番組のポイントは

 来られるお母さんたちはみんな孤独

 ということだったそうで、女性なら「自分が一番可哀想」と思ってしまう時期が(必ず)あって、そのあたりに孤独感・不幸感を抱えているのはいけない…とかいう一般論におとされてました。
 関わりがうまくできないそうしたお母さんたちに周囲は無関心ではいけない、というような話も。


 そういう話なのかなと思って見てました。
 もう一度後で見直してみます。