靖国問題の基礎知識4

Q 靖国には軍人だけしか祀られていないの?


A 合祀される対象は戦死軍人だけに限られていません、靖国神社が霊璽簿に名前を記載すれば祭神とされることになっており、沖縄のひめゆり部隊の24名も祀られています。*1
 とはいえ祀られている250万の御柱のうち210万人は太平洋戦争の軍属で、そのうち5万人ほどは朝鮮など旧植民地出身の兵士です。台湾前総統李登輝氏の兄李登欽氏(昭和二十年二月十五日、ルソン島マニラ市のマニラ湾において戦死。享年24歳)も祀られているため、李登輝氏は強い参拝の意思を持っておられるそうですが、中国政府との絡みで日本は氏の入国を許可しておりません。*2


Q 本当にうさんくさくないの?


A それは感じる人によるでしょう。1950年代後半から遺族会などで靖国神社の国家護持復活を求める動きが活発化し、1960年には国会に靖国国営化法案が出されました。これを、純粋な遺族の思いととるか、遺族の思いを利用した軍国主義復活の策動だととるかは、見る人の立場によって変わります。結局、この法案は日本国憲法政教分離原則がネックとなって1974年に廃案となっています。ちなみに、遺族会自民党の結束も強く(まあ大きな票田でしたから)、いかにも胡散臭い感じで(笑)靖国神社総代*3には自民党古賀誠元幹事長が就いていることも事実です。


Q 中国、韓国などはいつから反対を言っているの?


A 大体、靖国国営化法案が廃案になった後ぐらいからです。この時期に周辺諸国に向けて日本の一部の人々からの働きかけがあったと考えられています。日大の秦郁彦教授は靖国問題が「日本に対する政治的な外交カードとして使われている」と考えられています。そして「戦後の首相の参拝には長い間、近隣諸国から異議は出なかった。時間がたつにつれてうるさく言うのは不自然。カードとして役立たないと分かれば(反発は)立ち消えになるはず。慰霊の仕方はそれぞれの国民が決めるべきものだ」と言っておられますし、毅然とした態度で私的参拝を続ければ、何の問題もないだろうと思われます。


Q 本当に日本側から働きかけたの?


A 本当の本当のところは藪の中です。しかし下記の人民網日本版での中日友好協会の談話をみても*4
 もともと参拝を批判する主体が日本側であったことは明らかなのではないかと思います。

 「日本の各界の有識者が正しい歴史認識で、さまざまな方法やルートを通じ、靖国神社参拝反対や反戦・平和維持を訴え、アジア諸国の人々との友好関係強化を求めていることに、われわれは敬意を示し、彼らとともに中日友好事業の発展に引き続き努力していきたい。」


Q もうちょっと事実関係を教えて


A いわゆるA級戦犯の合祀は1978年に行なわれました。そして「公式参拝」の言葉が出たのは、1985年の中曽根首相の時の参拝です。それまでの政府見解では「違憲ではないかとの疑いをなお否定できない」となっていたのを、藤波官房長官談話で、「二拝二拍手一拝」などの形式をとらなければ、政教分離原則に反しないなどとして「公人としての中曽根康弘が参拝するのだ」とコメントしたのが始まり。これに対し大々的な反対キャンペーンが張られ、政府は腰砕けになり、翌年は首相の参拝は見送られました。


  とにかく政府見解なんてものは右顧左眄、へなちょこなんです。*5

*1:国のために戦った「戦死者」を祀るということですが、基本的には宗教法人としての靖国神社が自らの判断で祭神とする人々を決定していますのでたとえば勤労学徒の一部の方、強制疎開などの移動中に亡くなられた児童(対馬丸)、従軍看護婦の一部の方、樺太の電話交換手の方(ソ連の侵攻を内地に通報し命を絶ったとされる)などが入っているとのこと。ですが、あくまでもこれは靖国に絡んだ信心をもたれている方々の決められたことで、靖国神社は公的祭祀ではありませんから誰それが入っていて誰それがいないとか、銃後を守って亡くなった方々、空襲で亡くなった方々のすべてが入っていないのはおかしい…などという指摘はもともと成立しません。おかしいと思ったら縁無きものと関わらなければそれでいいのだと思います

*2:治療目的で大阪、岡山を訪問なさったのが2001年4月にありました。そしてその後2004年12月27日に来日が実現し、2005年の1月2日まで日本に滞在されています。ただし「政治的活動」をしないようにという紳士協定があったとのことで靖国参拝はなさっていません

*3:平成5年10月より靖国神社崇拝者総代。

*4:http://j.people.com.cn/2001/08/15/jp20010815_8400.html

*5:これについては2005年現在まででやや変わったという観を持ちますが、今後小泉首相がどう判断していくかはわかりません