靖国問題の基礎知識3

Q 神道とは何ですか?


A ええぃ! そんなに言うのなら答えます。間違っててもごめん!

 神道とは「神惟(かんながら)の道」のことで、神様をもてなし、そのことによって豊かで平和な暮らしを得ようとする日本古来の宗教です。*1もともと神道には教義と言えるものはありません。仏教の教義に触発され「神道五部書」などというものが後代に作られましたが、あくまで神事(かみごと)はあっても教義がないのが神道です。『古事記』上巻や『日本書紀』神代巻などの神話は、確かに神道の神話と言えるのですが、あれはあくまでも統治者としての天皇家に関わり、それに都合のいい部分の編纂ですから、基底的な神道はもっと広いところで捉える必要があります。またもともとの神道には社殿もありません。現存する社殿の形式は、仏教の到来に刺激されて作られたものです。それでは何が必要かというと「御神体」だけなんです。


  神道御神体は、神様そのものではありません。あれは神の寄り代(よりしろ)です。八百万(やおよろず)の神というように、日本人は山川草木いろいろなものに神威を感じ神として捉えました。また物だけではなく、さまざまな事象も神として捉えられてもいます。ただそれら神の本体と申しますか神霊は「ちはやぶる」ものであり、道(ち)などの通路(脈)をすばやく行ったり来たりする(はやぶる)形態のないものだったのです。


 それを客(まれびと〜まらうど)として接待する、その接待のことをお祭り(祭祀)と呼んだのです。こちらから招請する時は、拍手を打ったり鐘を鳴らしたりして神に寄り代に来ていただきます。「まつる」の語源として、物品を捧げたてまつる行為の「まつる」からとする説があるように、来ていただくのは幣帛などを捧げて接待するためなのです。


 そして神の側から現われるのは「たつ・あり」→「たたり」で「祟り」として捉えられました。今では悪霊の災いとしてしか考えられていない「たたり」も、神威の現われ全般として考えられていたのです。


  平安時代に編まれた『延喜式』の祝詞などには天皇を「神等をば天つ社、国つ社と忘るることなく、遺つることなく称辞(たたへごと)竟へまつる」者として(つまりすべての神をもらさずに祭る者として)祭祀者の代表と表現するものもみられますが、実際に天皇が祭祀者として機能していたのは、推古以前、仏教伝来以前のかなり古い時代までで、特に仏教到来以降は、仏教自体が統治のため、政事(まつりごと)のための道具として考えられましたから、天皇自らが祭祀を執り行うのは大嘗祭新嘗祭等の限られた時に限定されてしまっていました。またさらに言えば、なにも天皇の権威が全ての神事に及んでいたわけでもありません。「たたり」はどこでも起こり得たのですから。


  人神(ひとがみ)も神道では稀なものではありません。古来多くの人神は「御霊(怨霊)」として祟るほどの存在である人がなりました。菅原道真が北野天神となったのもそうですし、崇徳上皇もそうでした。近年で言えば祟り神的なものではない乃木希典大将が乃木神社の祭神となったのもそうですし、靖国神社の「英霊」もその一つの形だと考えられます。


Q 人は死んだら「ほとけ」になるのでは?


A もともと「仏(ほとけ)」というのは仏教語です。仏教としては、本来の仏は「正覚を得たもの・覚醒者」で、輪廻転生の輪から抜け出る「解脱」できた者です。釈尊の後は、受戒して修行したもののみがなれました。大乗仏教になって、菩薩行を行うものの力により衆生は誰でも仏になれる(菩薩はその救済を行う者)ということになりました。それが拡大されて山川草木悉有仏性(すべての存在は仏になる要因を内在している)という具合に(時代的・地理的に)変容していきました。ちなみに大乗以前の上座部仏教は東南アジアやチベットに残っています。


 日本では、死ねば他界へ行くとされていました。他界は今の言葉でいう「あの世」です。他界は場合によっては山(山中他界)や海(海上他界)などにも想定されていましたが、有名なのは古事記に登場する黄泉の国でしょう。黄泉津比良坂を越えて行くところです。天皇神話が取り込んだのは黄泉国だけ(海上他界も出るが死者の国ではない)でしたが、これが遍く日本人の信仰であったかというとそんなことはないでしょう。


 さて仏教が入ってきて千年以上になりますが、観念を様々に変容させながら仏教は土着化していきました。その中での「ほとけ」なのです。葬式仏教に限って言いますと、死者にまず戒名が与えられます、これは受戒した=仏弟子となったことを意味します。次に読経です。仏教では死後四十九日間は魂が「中有」というところにあって、次に転生するとなっていまして、その四十九日間に魂を説得し(というか経典を勉強して解脱してもらって)輪廻の輪から抜けてもらおうとするのが読経の意味です。で、四十九日を過ぎると無事に「仏」ができるというわけです。


 ですが、日本人の宗教観は非常に重層的になっております。葬式仏教はそれはそれで一つの建前で、例えばお盆に祖霊が帰ってくるというのは、全く非仏教的な考え方です。仏教にしても、例えば浄土真宗では生前一度でも「南無阿弥陀仏」を唱え、心から弥陀の本願を信じれば、それだけで浄土に往生できるとされていますから、本来的には葬儀は不要なはずですし…。(ちなみに浄土に往生=生まれ変わった人は、そこでありがたい説法を聞いて、その次の段階で成仏する手筈になっています)


 そしてまた祖霊信仰というものがあります。祖霊信仰というのは柳田國男が指摘したもので、これは民間の信仰として、人が死ねば山の上の他界へ行く、他界から毎年一度魂が降りてくる、五十年経つと個々の魂は「祖霊」という大きな存在に入って行く、といったものが民衆の間にあったとするものです。


 本来的?には仏壇にご先祖という取り合わせはおかしいといえばおかしいのです。ですが宗教的寛容性とか、教義に詳しくなれない庶民の立場とか、神道にはもともと教義が無いとか…そういった様々なことが影響して、素朴な形で現在の宗教観があるわけです。

 ごく一般に言えば、日本人の宗教観においては死後も「死者の魂」は存続します。その一つの呼び名が「ほとけ」という語(借り物)なのです。


Q 祖霊信仰と靖国は関係ありますか?


A 戦死者のご遺族にとっては、自分の父や祖父が(別に護国の鬼になってなくても)魂としてどこかに存在し、靖国神社に行けばその魂と会えると考えるところなどは、靖国神社参拝と祖霊信仰の重なっているところでもあると言えるわけですが(神社側がどう考えているかは別にして)、それはあくまでも戦死者のご家族に限ったもので、そうでない人にとっては靖国は祖霊信仰と直結したものではありません。


 もともと神道は死者の穢れを言います。ですからごく一部(奈良山中の某神社など)を除いて、死者儀礼神道は関わりませんでした。靖国は、死者の魂ということではなく「神」として祀ることにより死穢を問題にせずに済んでいます。その意味で特別な神社といえば、そう言えます。

*1:道教との絡みも言われますが、私は原神道的なものをおいて考える立場に立ちます