ナショナリズムについて

 近年そのつもりは無くても、中国や韓国の人々やメディアの主張を聞いているうちに、自分が自然に「民族的」というか「国」を意識したり、あるいはそれを背負ったりした意見になってしまうという経験が、少なからずあるのではないでしょうか?
 ある面、脆弱になってしまった日本の国民意識というものを、再び補うチャンスが来ていると言えるのかもしれませんが、あまりにその面だけが醸成されるのも間が悪いことではないかと思います。
 少なくとも妙なナショナリズムに溺れたみっともなさは、先日の中国の「愛国無罪」の暴動がよく見せてくれたはずです。
 まだ考えはまとまりきっていないのですが、私の考える「国を想う」こととナショナリズムには若干のずれがあります。そして中国・韓国のあの人たちと同じようなナショナリズムだったら持ちたくないとも思います。というわけで、つらつらナショナリズムについて書いてみました。