悪意の出し方

 私はわりにすぐかっとなる方なのですが、残念ながらその怒りを攻撃的に相手にぶつけるのにはちょっと時間がかかったりします。鈍くさいと申しましょうか、その何がしかの危機的局面が終わってある程度時間をおいてからなら、いくらでも相手に対して言ってやる言葉(罵倒ともいう…)がでてきたりします(笑)。


 ではその危機的局面の時はどうするかというと、単に頑なに引かないという行為で自己主張するばかりです…


 意地を張ってどうにも引けません。たとええば歩道上をやってきたバイクにはわざとよけないで相手が止まらなきゃいけないような状態にし、通行できないところをやってきた車に対しても車が退くか戻るかするようにそこで立ち止まります。(毎日犬の散歩をしていると、ちょこちょこそういうのにぶつかるんです)


 まあ実際、声を張り上げるような者とか胸倉つかまんばかりに迫る馬鹿もおりますが、そういう時でも(もしかしたら足ががくがくしかけている時でも)そのままにしています。兵法の常道とかいうのからは外れているでしょうね。危うきを避けるべきなんですが、どうしてもアドレナリンが出てしまって…(いままで大過なくこれたのは、ひとえに運がよかったからだと思います。反省はしてます)


 さて先日、こちらが風邪で参りながらなんとかコンビニへ行き、鼻をずるずるさせながら列に並んでいると、右っ側から妙なおばさんがやってきて、すっと自分の商品をカウンターに載せるんですよ。そして私の番になったら、身体を私の前に持ってこようとする様子…
 「ちょっと、並んでますから」
 「(しーん)」
 一言かけてもわからないようなので、軽く右手で押し返しながら
 「私が先です!」
 ときつめに言うと、
 「わかってるわよ!」
 むかっときて、
 「じゃあ、何で物を置くんですか」
 「物ぐらい置いたっていいじゃない」
 まあ、あとは単に無視して私は買い物を終えましたが、ちらっと見るとそのおばさん、小学校高学年ぐらいの男の子を連れていたんですね。


 そして家に戻ってから、だんだん彼女に言ってやるべき言葉が湧いてきて(…遅い)ほんとにしばらく気分が悪い(というか風邪でしたし)のが続いて、いやなものでした。


 大抵の場合、私程度に鈍くさいほうが、事態を悪化(エスカレート)させずに済ませる事ができると思いますし、相手も悪意をぶつけられないだけ「まし」でしょうし、なんだかんだ良いことも多いとは思います。歩道を走行してきた原付などは明らかに違法行為ですが、割り込みは微妙。不正ではあっても不正義とまで言うのもためらわれます。


 でもやっぱり後で、あのおばさんにだけは言ってやるべきことがあったんだと悔やみました。それは…


 あんたはどれだけこずるいことをしようが、それを子供の前で見せるのだけはやめなさい
 子供が悪くなれば、まずそれは親の責任なんだと思いなさい


 これがすぐにでてこなかったのは良くなかったと思います…ただ、もし言ってしまっていたら、その時にはそれなりの後悔が生じてしまっていたかもしれませんね。


 親が(あるいはおとなが)いい加減なことをするのなら、子供に期待などかけることはできません。せめて子供が見ている前だけでも、やせ我慢をしていい格好をしてみせるぐらいのことが必要じゃないかという思いがあります。なんとなく建前と本音があれば本音をいうのが正しくて、建前を出すのはずるい大人の処世などというイメージが広まっている気がしますが、それは必ずしも正しくない話でしょう。
 建前を、綺麗事を意地でも主張するという行為に、おとなの面子をかけなければならない時もあるんだと思います。


 書きながら思ったのですが、私の書くことでも結構矛盾するところがありますね。感情に関わるとどうも統御しきれない…これもまた反省。(反省だけなら猿にもできますが 笑)