不許葷酒入山門

くんしゅさんもんにいるをゆるさず

 禅寺の入り口近くの石柱によくこの文字がみられます。確か落語の『蒟蒻問答』で出てきたと思いますが、あれは問答を主題にした噺なので臨済宗ですかね。葷はニラやニンニクのような臭みのある植物を指します。一般に精力をつけるものとして考えられていて、僧侶の修行の妨げになるからとこの葷とお酒が寺の中に入るのを禁じていたのです。

 ところが、室町時代には天野酒という名酒がありまして、これは河内国、天野山金剛寺で造られていました。ワインが修道院で造られていたように、酒を醸して売っている寺もそれなりにあったようです。
 この背景には日本の神仏習合の影響があったようで、「お神酒あがらぬ神はなし」ですから境内に共存する神社のためにお酒を造っていたということらしいです。
 またニンニクの類といえば私の友人に信仰による菜食主義者の台湾女性がいまして、彼女は卵は食べられるベジタリアンなのですが、お土産にエシャロットを束で持っていった時には「ごめんなさい。こういうのは駄目なんです」とやんわり告げられました。「葷」のようなものを忌む習慣は台湾の宗教の中にまだ存続しているみたいです。これも聞いた話ですが、チベット仏教では今でもニンニクを食べた僧侶は(一時的に)寺に足を踏み入れることを禁じられているそうです。
 そういえば確か『源氏物語』でニンニクが出てきていましたね。千年以上前からあったものですから、もう定着とかそれ以前のものでしょう。やはり薬効が期待されてのことでしょうか。


 お酒のことを寺で隠語で呼ぶというのは知られた話ですが、有名な「般若湯」の他に「薬水(やくすい)」などというのもあったそうです。隠語で呼ばなければいけないということから、やはり原則禁止されていたことがわかります。
 それもそうですね、在家(在俗信者)の五戒の中にもちゃんと不飲酒戒(ふおんじゅかい)がありますから、僧侶が飲んでていいはずがないです。しかしこの戒をはじめ、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語の残りの戒にしても、きちんと守っていた僧侶ばかりなのでしょうか?疑問ですね(笑)


 ちなみに『論語』の郷黨第十では「唯酒無量、不及亂」(ただ酒は量無し、乱るに及ばず)ということを言っておりますので、孔子は酒に強かったというのが定説です。儒教で酒を禁じず、仏教で禁じているところから江戸の太田蜀山人は、「孔子は上戸、釈迦は下戸」と漢詩を詠み「杯」の絵を描いて一幅の掛け軸を作ったとか。
 酒無量の方の宗教で酒を禁じるはずもないですね。

おまけ

「不許葷酒入山門」という白文は通常「葷酒山門に入るを許さず」と訓まれますが、


葷は許さず。酒は山門に入る


許されざる葷酒、山門に入る


許さずとも、葷酒山門に入れ


 などのように訓じた僧侶たちもいたとか…


 以上、あんとに庵さまに