問題の整理
あんとに庵◆備忘録のantonianさんのところで、靖国問題を次のように整理されておりました。
靖国の問題には幾つものキーポイントがあります。 1・英霊を祈る施設としての靖国そのものの是非 2・A級戦犯を祈ることの是非 3・首相が祈ることの是非 4・首相の祈りは公私どちらであるか? 5・この問題は内政問題か? 6・戦犯に祈ることは戦争を反省をしていないということなのか?
この捉え方にのらせていただいて、自分の考えをまとめてみたいと思います。
1に関して
英霊という言葉自体、一つの信仰に関わるものです。そして忘れてはならないのは、靖国の英霊と言っても実はそれぞれのご家族が身内で亡くなられた方を祀られているのがほとんどであり、靖国は別立てでそれらの方を祭神として崇めているに過ぎません。靖国はお墓ではなく、お墓や位牌とは別個の、基本的に別の方々の想いでお祀りするところなのです(もちろんご遺族が靖国に賛同なさるのはご自由です)。
他人様の信仰内容の是非がどうして問題となりえましょう。その信仰が反社会的な脱法行為でもしているなら話は別ですが…
2に関して
これもまた、靖国神社を国家護持でもしていれば問題になるかもしれませんが、基本的には他人様の宗教の問題ですので是非では語れないと思います。
祭神をどうするかは、靖国神社の内部で(祭祀者あるいは信徒として)語られる以外、すべて筋違いのことなのです。(だからこそ「国家神道」「国家護持」の類の話については、当事者になりかねないということで口が挿めるはず)
3に関して
首相が公費を使い、公務で参拝するのには問題がないとは思いません。しかし個人の信条でと首相が明言されている以上、お金の使い方に目を光らせておけば、誰も気にしなくていいことではないかと考えます。
徹底的に厳密に公人と宗教は切り離せという議論は誰のためにするものか時々わからなくなります。政教分離の原則は、個々人の信仰の自由を守るためにこそあります。それが守られるならば、首相や首長のちょっとした宗教的行為を非としてあげつらうことに私は興味がありません。
4に関して
戦死者に対して公の祈りも必要だとされる方々の心情はよくわかります。しかし私は、それは靖国神社の文脈でやるべきことではないと思っております。新しい慰霊の場が必要かどうかということも含めて、今後世論が盛り上がるならば、その議論には参加いたしたいと考えますが…。
ここでは首相の言葉がありますので、あえて邪推する必要も無く小泉氏の祈りは私的な祈りだと判断します。彼が彼を支持する有権者の想いを背負っているとしても、それは政治家個人の祈りと捉えましょう。
5に関して
他処さまのところでこの問題が「外交問題→内政問題→内面問題*1という具合に議論が変遷してきた」というようなことを書き込みましたが、これはあくまで話の焦点の移り変わりの私なりの捉え方です。靖国問題は同時に外交問題であり、内政問題であり、内面問題であるようなものでしょう。そしてそれぞれに論拠と言えるものがありますから、ことはどこを重視して考えるかというものなのかもしれません。
ただこの問題を外交問題と捉えたり内政問題と捉える方々は、方向が逆のようでいながら「小泉首相の参拝をやめさせる」とか「A級戦犯を分祀する」とかいう政治の宗教への関与を問題解決の手段としても考えておられるようで、それには全く承服できません。あまりにも宗教、そして内面の自由の問題を軽く見ていらっしゃるようです。
私は「国家が一つの宗教の祭祀内容に介入するのには反対」ですから、(政治との関わりにおける)内面問題としてこれを捉えます。もちろん外交or内政問題と捉える方々が靖国神社の祭祀へ介入するなどということを離れた議論をなさるならば、それに加わることさえできるとも思っております。
6に関して
反省などというものが、外面的に強制できると思っているのでしょうか。特に中国や韓国、北朝鮮の政府の言には、反省を強制しようとする傲慢さが感じられて不快です。
また戦犯の当否は別にして、死をもって罪を贖った人などをなお犯罪者呼ばわりするような趣味はもっておりませんので、東京裁判の是非がどうあれ、戦争を反省するしないのレベルで靖国問題を語るのはおかしいと考えています。
*1:c.antonianさん