新しい伝統/神前結婚式の話

 
 昭憲皇太后明治元年に入内した時、結婚式は行われませんでした。さらに神道がそこに介在することもありませんでした。そこで行われたのは朝儀復興による輦車宣旨、衾覆、三箇夜餅などという『源氏物語』にでてくる平安朝の儀式です。そして平安時代と同じように、国民の祝賀なども当然ありませんでした(参考:米田雄介「天皇家の結婚の歴史」、『歴史と旅』第20巻9号所収)。


 今日も昨日の続きで、高木博志氏の「初詣や神前結婚式のルーツを探る」を引用しながら神前結婚式の起源について紹介していきたいと思います。
 非常に簡単に申しますと、対外的な(というかヨーロッパ列強に対しての)理由から皇室(儀礼)の欧風化がなされ、その過程で出てきた「神前結婚式」という形態が新たな伝統として広まったという筋書きです。


 ヨーロッパの王室でキリスト教との関わりがないものはありません。しかも19世紀あたりの彼らの考えではそれこそがスタンダードであり、キリスト教が最も進んで高級な信仰とされていましたので、そのスタンダードからはずれる信仰や風習は「遅れた」もの「未開」とすら言われるものにみなされかねませんでした。
 ですから19世紀末の日本が列強に伍して富強な国民国家を形成するためには、そして不平等条約を改正し対等な外交関係を結んでいくためには、文明的に遅れた国家という印象を積極的に返上する試みが必要だったのです(少なくとも当時そう考える人がいたのは理解できるでしょう)。


 明治以降の朝廷では「女御、更衣あまたさぶらふ」状態は(少なくとも表向き)ありません。戦後になればなおさらです。君主が後宮的なものを必要とするのは、彼が色好みか否かは全く関係なく、システムとして血縁の後継者を得るためです。ですが当時のヨーロッパからすれば、後宮のようなものは「遅れた東洋専制国家」の制度としか見えなかったでしょう。オリエンタリズムですね。


 ヨーロッパ王室ではキリスト教の影響により一夫一婦制が基本でした。王と后はある意味「キリスト教的健全な家庭」のモデルとならなければいけなかったのです。歴史上例外はもちろん出てきますが、この一対一のカップルがキリスト教的権威を王の側につけるための手段にもなっていたのは否めないでしょう。
 また、そうした「範型」としての夫婦が誕生する場としての結婚式は、国民国家の統合という面でも重要な意味をもっていました。それゆえ王室の結婚式などは大々的なセレモニーの場となり、下々の国民に至るまで祝祭の雰囲気に包むような方策が採られたのです。


 明治の日本、そして皇室は一方で古代の祭祀を復活(という創造を)するのと同時に、ヨーロッパ列強に自らの皇室を認めさせるために、多くの儀礼をヨーロッパ伝統互換のものに変えることもいたしました。「一夫一婦制の建前の視覚化」と(慈善行為にリーダーシップを取るようなあり方も含めて)「皇后の役割の自立化」がその一つの主眼です。

 1873(明治六)年の正月元日、初めて外国人が皇居の大広間に年始拝賀するが、天皇と皇后が揃って応対している。これは近世の正月儀礼天皇だけで完結していたこととは対照的である。この年の正月十日は、天皇・皇后が外国公使夫妻の拝賀を受けた嚆矢であるが、ここに初めて今日につながる、天皇・皇后のカップルと客のカップルとの外交の場における交歓風景が現出する。(高木氏の小論より)


 皇室での神前結婚式が創出されるのは1900(明治三十三)年の「皇室婚嫁令」ですが、その成立にはヨーロッパ視察などをした藤波言忠の『英独両国皇室例規概要』(1898)が多く影響していると高木氏は指摘します。そこには「皇室皇族ノ婚礼モ亦宗教婚ヲ以テ通例トナスモノト知ルベシ」と書かれているそうです。


 この「皇室婚嫁令」に基づき、皇太子嘉仁(後の大正天皇)と皇太子妃九条節子が同年五月十七日に婚儀をあげます。これが新儀としての神前結婚式の始まりなのです。


 また、皇室の結婚式を「セレモニーとして国民が奉祝する」ようにすべく、

 帝室制度調査局で皇室婚嫁令にかかわった細川潤次郎は、1898(明治三十一)年に『新撰婚礼式』を著し、式場に伊弉諾伊弉冉の二神を祀る神前結婚式を一般社会に普及してゆく。(高木氏の小論より)

 ということもあったそうですが、私はここで一般の人々の側の皇室への憧れとか、それを真似ることの流行とか、そういう下からの受容という側面も見逃すべきではないだろうと思っています。


 高木先生のまとめです

 近世以来行われてきた結納から里披きまでの「婚礼」は、宗教との結びつきは
きわめて希薄であった。皇太子嘉仁(大正天皇)の婚姻を契機に社会に広まる
神前結婚式をもって、結婚式と宗教=神道が結びつく「伝統」の創出がなされる
のである。


 昨日今日と伝統と見えたものが意外に新しかったりするお話を書いてきましたが、私は新しい伝統も否定的には見ていません。何も古いものを固守するのばかりが正しいとはいえないでしょう。伝統に固着すれば、文化にしても宗教にしてもいずれ衰微せざるを得ないのではないでしょうか。定期的に刷新と申しますか新しい文化的・宗教的創造があってこそ、それらの命脈は続くものだとも思っております。それに日本はそういう形で伝統を積み上げてきたハイブリッドな人々の国なのですから。

でも

 こういう話は驚きではありますね、やはり…

 「伝統とは起源の忘却である」メルロ=ポンティー)