神道の伝統

 マッコイ博士さんから「伝統の大衆化」というエントリーでトラックバックをお返しいただきましたので、少し考えてみたいと思います。(マッコイさんありがとうございました。あとトラックバックの件ですが、上記のような自動トラックバックはおそらくいけるのですが、はてな内のブログへ意図的にトラックバックだけを送ろうとしてもこの頃うまくいかなくて…)


 お読みの、阿蘇谷正彦『こんなに身近な日本の神々』毎日新聞社、は残念ながら読んでおりませんので、齟齬がありましたらお詫びいたします。国学院の「伝統」を阿蘇谷先生が背負われたら私などにはたいして言うこともございませんが、それでもマッコイさんや私でやり取りする楽しさだけは残されていると信じたいと思います(笑)


 さて私は海外の方に信仰を訪ねられれば仏教徒と答えますが、神道にも親しみをもっております。実家にも仏壇の上に神棚がありましたし…。ただ神道のみに日本が今の日本であることの根拠を求めることはできないと思っていますので、その意味で神道を特別扱いすることはいたしません。結局そこらへんの認識の差もちょっぴりあるかなと感じます。


 お話の「神道が仏教と融合して生き残った」というのは少々見方を変える必要があると思います。神道はおそらく神道そのままにピュアに残りたかったのです。しかしそれを受け取る信仰者、一般の人の側がそういうとり方をしなかった。しかしながらそのおかげで神道は命脈を保つことができたという状況があったと考えます。少なくとも神道は、人々の要求にすべて応えることはできなかったのではないでしょうか。


 たとえば死穢のタブーが最初に浮かんできますが、神道は他界観や葬送儀礼などの死の問題に充分対応してきたとは言い難いところがあります。ごく一部で神道の葬儀はあるもののそれはあくまで例外的なもので、基本的に神道は死者を含めた救済という方向では人々に応えきれてはいなかったでしょう。
 またそれにも関わるのですが、神道はよきにつけあしきにつけ救済論的にはあまり働けません。悪口を言っているわけではなく、宗教のあり方の性格的な側面としてです。
 それでそういった神道が掬い切れなかった部分に仏教をはじめとする諸宗教が入り、根付いていました。神道が人々に応えられる部分と他の宗教が応えられる部分と、そういう棲み分けを許容して、自分たちの「ニーズ」にあわせて受け入れてきたのが日本の人たちなのではないかと思います。
 それこそ神仏分離などという行為は、そういう日本の宗教伝統に対する暴挙だったと考えます。神道が独自の道を行きたかったのはわかりますが、利用された感もあるのではないでしょうか。


 マッコイさんが少しく違和感を感じられる「宗教団体」的なものに押し込まれてしまったのですよ、明治以降の神道のかなりの部分が。宗教組織は純化の方向を目指します。自分が他の何ものでもない自分であることを明らかにしたくなってしまうのです。それが現代の諸宗教のファンダメンタリズム等の問題につながってくる面があると私は思っています。それは諸宗教に「棲み分け」て欲しい一般の側にいる私などには、どうにもやっかいなことに見えてなりません。


 廃仏毀釈の原動力は、神道に関わるものがそれを「独立した一つの宗教」にしたいと思う心にあったのではないかと…。それはむしろ私には神道「らしくない」ものだったと感じられます。
 神道が「神道だけ」を目指していったのは、むしろ普通の人々から離れていく方向ではなかったかと思えます。江戸期に仏教が時の体制に利用され(ある意味それを利用し返し)て宗教としての命を少なからず枯らしてしまったのと同様、明治以降の神道もある意味同じように利用され、変わってしまいました。もちろん社会的状況の変化も大きい意味を持つのですが、私には一旦国家神道として制度的に固まってしまった神道の信仰が、未だに人々の心をつかむようになれていないところにも神道の今の状況の一因があると思えてなりません。


 マッコイさんは「一般化・大衆化」とプラスの面で捉えておられますが、実は明治以降の新たな神道的習俗の普及は、画一化という大きな副作用を伴ったものでもありました。引用された七五三の歴史的経緯のところにも見えている表現ですが、それは「それぞれの地方や家の仕来りや習慣」から離れての「一元化」だったのです。
 なんのための一元化かと言えば、異端を廃し、地方ごとに習俗などに溶け込んでいた神道を理念的な国家神道へ回収するためのものだったと思います。
 たとえば以前の日記にも書きましたが、明治以前の諏訪神社には「大祝」と呼ばれる、「諏訪社の現人神」が存在していました。諏訪の神様が諏訪神社上社では神(みわ)氏の男児に降りて、その子が現人神として氏人の上に立つという「伝統」があったのです。しかしその大祝職は明治維新を境に廃止させられています。「大祝ヲ以テ御体ト為ス事」などという諏訪の土地の信仰が、国家神道的体制に組み込めなかったからでしょう。


 さて私が「新しい伝統」と呼んだのは、過去の暴露的話で終わったのではネガティブすぎるため、これから伝統になっていくかもしれないという期待を込めた言い方のつもりもありました。舌足らずの表現で申し訳なかったです。
 今や対外的にも「初詣」が日本の神道的風習の代表格であるのは事実ですし、それを受け入れた人々の側に押し付けだけではない何かがあればこその定着だと思いますので、過去がどうあれ私は初詣を否定する気など全くありません。
 私は「民主主義的」宗教観を持っているわけではないのです。それはぜひおわかりいただけたらと思います。ただ、人々の信仰を離れたところの宗教伝統などにそれほどの価値をみていないだけです。ですから仏教にしても、鎌倉期以降、お山を降りてきてからの仏教の方により大きな意味を感じています。


 蛇足ですが、マッコイさんが御自分の歴史観、宗教観を持たれるのは当然のことと思いますし、それにどうこういうつもりはないです(本当に)。そして「伝統行事は多数決できまるようなものではないはず」などという言葉にも違和感はありません。
 ただマッコイさんの

 伝統行事は多数決できまるようなものではないはずです。少数者(ではあるものの日本の中心的な階級の人々)によって受け継がれてきた伝統が、社会構造の変化によって社会が大衆化した時に、それまでは一部の支配層のものであった伝統や風習・文化が広く一般化したという事だと思います。

 とおっしゃるあたりの考え方は、やはり違うなあと思うのです。で、なぜ私が違う考えを抱いているか、今日の日記で少しなりともわかっていただけたら幸いです。