癒し

 教会関係者のかたには不評な面があるともうかがいますが、私が今までにキリスト教関係で最も感動した読み物は遠藤周作の『沈黙』です(月並みかもしれませんが本当です)。最初の出会いは高校の教科書でしたが、その時は教師の解説も含めてあまりぴんとこなかったのを覚えています。*1


 しかし数年後、立ち寄った書店でふと『沈黙』の文庫本を手にし、購入して読み始めてからはまるで印象が変わり、とても感動し考えさせられました。私にとっては得難い本との出会いの一つだったと思っております。
 その後の流れの中で、不思議に遠藤周作のファンになったりクリスチャンになったりということはなかったのですが、今もたまに読み返したり他人に勧めたりすることもあります。(ただ他の方に勧めてあまり好評だった記憶もないのはなぜでしょうか?これは出会うべきときに読まなければわからない本なのかもしれません)


 自分がクリスチャンでもないのにこういうと不遜かもしれませんが、遠藤周作がこの本で描いた「キリスト」は、キリスト教信仰を越え(というかはみ出し)、非常に日本に馴染む感じの深い優しさをもっていると思います。でも一方で、キリストによる「贖罪」(キリストが私たちの罪を贖ってくれるというまさにその意味)に焦点をあて、キリスト教の中心をそこに見据えた実にクリスチャン的なものにも感じます(教会関係の方が受け取るものと遠藤氏が受け取ったものとに異同があるとは思いますが)。

 人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです


 さて、クリスチャン・サイコセラピーというのでしょうか、クリスチャン・ヒーリングというのでしょうか、アメリカで行われているキリスト教がらみの心の癒しについて伺ったことがあります。(これはネットで調べきれませんでしたので詳しい方がおられれば伺いたいところです。)


 まず最初に聞いたのは、誰か(何か)に強い恨みを持った人(ただしクリスチャン)に対し、恨む心を晴らしてあげると言って十字架のキリスト像を持ち出し、これに釘を打ち込みなさい、これがあなたの憎む相手(もの)だと思って強く打ち込みなさい、何度も打ち込みなさい…と勧めるというやり方でした。
 ためらいながらも釘を打ち込み始めたその人は、結局「もうできない」と泣き崩れ、そして恨む心の無意味さを教え込まれるという筋書きだったと記憶しています。
 確かにキリストに釘を打ち付けるというゴルゴダの丘の情景をなぞってはいますが、私にはこのやり方にクリスチャンらしさはあまり感じられません。むしろそれは日本の平和教育にも通じるような、とにかく暴力(戦争)は無意味だという観念(疑わしい命題)を叩き込むものとそれほど変わらないような気さえします。まるで丑の刻参りですし…。


 次に聞いたのは、いじめなどの心の傷を持った人(ただしクリスチャン)に対し、次のように行われるものでした。まず根掘り葉掘りいじめられた学校時代を思い出させます(傷口に塩を塗り込むように)。そして教室の描写もさせ、「隣には誰が座っていましたか?」「ジョージです」「みんなはどんな顔をしていますか?」「僕(私)を嘲笑っています」などとインタビューするそうです。一通り聞くと帰ってもらい、また次の日も同じインタビューの繰り返し。そして数日経ったところでちょっと質問が変わり、「隣には誰が座っていましたか?」「ジョージです」「ほんとうですか?」とそこのところに疑問を与え、さらに何日か後には、「隣には誰が座っていましたか?」「ジョージです」「隣にはイエスが座っていませんでしたか?」「いいえ」という具合に積極的に話を与え始めます。そして何日も心の傷を話させられていたその人は、ある瞬間、「隣には誰が座っていましたか?」「イエスです…イエスが座ってらっしゃいます」と言うようになります。そこですかさず「イエスはどんな顔をしていますか?」と聞くと「泣いています…。僕(私)のために一緒に泣いています」と答えるようになるそうで、そうなるといじめられ、一人ぼっちになっていた孤独感・隔絶感が、イエスも自分と共に苦しんでくれている、泣いてくれているという「共苦共感」の確信によって上書きされ、そこで癒されるというものだそうです。


 …まあ端的に言って「洗脳」ですね。それでも、ここにみられる「イエスが共に苦しんでくれているという確信」は、まさに『沈黙』に描かれていたところのキリスト像と、私にはぴったり重なって見えます。
 それはイエスが自分達のために(自分達のことを思って)十字架上で罪を贖ってくださった、という信仰があってはじめてリアルなものとなっているのではないかと考えます。そしてそこに教義の核心(の一つ?)があるのではないかと(傍から)思っている次第です。

 …愛の本にバイブルに、神さまにロックにダンス。なにが魂を救えるかわからんです。
                             『アメリカン・パイ』より

*1:告白します。その時私は教科書に採られている『沈黙』の一部分を使って、遊んでおりました。文中の語句を微妙に伏字にして、クライマックスで「ああっ、痛い」という言葉が最も効果的に見えるよう工夫したりしていたのです。とても友人達に好評でした。お許しください。