ゆびきり
えーご存知かと思いますが江戸の昔に廓(くるわ)ってえのがありました…。
江戸の町は昔っから地方の方々が来られて賑わうってことになっておりまして、お侍さんの参勤交代なんてのもありましたし、田舎の者で川向こうからやってくる奴ってのもたいていは奉公、つとめに来ておりましたので、これはもう自然に男が多い。
諸方のお店(たな)でも江戸店(えどだな)を出したもので、これもまた男の単身赴任。結局江戸中期頃で男弐に女壱という、何ともまあ、むさっくるしい比率にまでなってしまっておりました。
となれば、やっぱり女が必要ってことで、御公儀でも公許の悪所を設けようってなことになるわけです。ま、言ってみれば公の管理売春でして、あまり褒められたもんじゃないのはもとよりですが、それでもこれだけ男女比が歪んでおりますと、やっぱり治安の上からも必要ってことになるのはおわかりいただけるかと思います。
これがいわゆる廓(くるわ)なんでございますが、ここでは
「素見(ひやかし)千人、客百人、間夫(まぶ)が十人、地色(いろ)一人」
といわれておりまして。廓ん中にやってきて遊女を見てまわるだけのひやかしが千人。そのうち客となるのは百人。馴染みとなって「あんさんだけでありんす」などと言われてうつつを抜かす間夫が十人。でも、遊女にとって本当に惚れている地色(おとこ)は一人だけという意味だそうで…。
まぁ江戸でもそれなりのお金を持ってらっしゃる方はそんなにいらしたわけでもなく、人は集まるが客となるのは一握りってのはありがちです。これであぶれた男衆さんは公娼でなく私娼へ。いわゆる赤線がだめで青線へっていうんですか? あるいはもっと金がなけりゃ「ちょんの間」の夜鷹なる女性のところへいったそうでございます。
さて遊女のほうでも客の確保は大変でして、
「傾城(けいせい)の恋はまことの恋ならで 金持ってこいが本当(ほん)のこいなり」
とも言いますように傾城(遊女)はある意味、客にいかに金を遣わせるかが商売でございました。
たとえばです、遊女は見世から夕食なんかは支給されることはございませんでしたので、客をとって、その客に何かを頼んでもらわなければ夜の食事にありつくことなんざできやしません。
またお客の落とす金も女のところにくるまでにあれやこれや引かれてしまっておりますから、まともに男を相手にしていたのではとても身が持たない。そこでありとあらゆる手練手管を使って客の心と金をいただくというわけでございます。
その手練手管と申しますものに、まず起請文(きしょうもん)というのがございまして。起請文っていいますのは、熊野神社の御符に自分の名前を書き血判を押して、自分の言動に嘘偽りはないと神仏にかけて誓うものですね。それを客に渡したり、目の前で飲み込んだりして愛の証としたそうでありまして。ただし、遊女の場合は職業がら、七十五枚までは約束を守らなくても神仏に許されたってぇ、まことに都合のいいものであったそうですね、これが。
次に放爪(ほうそう)ですな。これは遊女が自らの爪を剥いで男に贈るものでして、爪剥とも申しました。
お次は断髪。これは読んで字のごとく、遊女が自分の髪を切って男に与えるものです。切り役は原則として相手の男だったそうですな。
それから入れぼくろ。これはお互いに手を握りあった時の親指の先の位置にほくろのような入れ墨を入れることでございます。これはそのうちエスカレートしていきまして、「○○様命」なんて具合に二の腕に名前を彫込むまでになったそうでございます。またこれをお灸などで消すことを「火葬」と申すそうでございます。
あと貫肉というのもございますが、これは 誠の証として自ら腕や股を刀で突くもので、ここまで凄いのになりますと、主に衆道(男色)のほうで行われ、遊女はほとんどしなかったそうだとも聞いております。
さて、手練手管の最後に来ますのが切指(せっし)でございます。これが遊女が自分の指を切って男に与えるもののことでして。もらった男は誰にも内緒でお守り袋に入れて肌身放さないようになさったそうです。もちろん何度も出来るものではないので、遊女衆の中には死体の指を買ったり、偽物を用意したりした方もいらっしゃったそうで、指が十本きりじゃない女もごろごろしていたとか…。
まあこのように一応指切り「切指」も日本の風俗、伝統の一つであったと、言えるのではないかと思っております。