メタ教育

小学校教育における、ほかの学校教育(中高大学)にはない重要な特徴・性格は何でしょうか。「クラス担任が全教科を教える」などの制度的な事柄ではなく、「小学校では〜〜を教えるが、中学以上では教えようにも教えられない」といった、小学校教育が小学校教育たるゆえんないし本質についての見解を求めています。一般論のほかに独創的な御意見も歓迎しますが、ネタ不可でお願いします。また、専門家・研究者の優れた見解を提示してくださった方にはポイントを多めに分配します。


 というはてなの質問に対して次のように答えました。

    
 教育基本法 (義務教育)  第4条 国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。
 実は教育基本法では普通教育を9年とするという定めがあるだけで、小学・中学の年限の刻み方は学校教育法で決めています。上位法で規定していないことからも、小学校の6年、中学校の3年にゆるがせにできない根拠はないのではないかと考えます。小学が6年になったのは旧学制を引き継いだという意味があるでしょう。  しかし戦前の初等教育では小学校6年のみが義務教育でしかも5年修了があったことから、戦後の「普通教育」(義務教育)では子供に必ず教育を受けさせるべき(あるいは権利として保証すべき)年限の延長が図られているのは確かです。 ※戦後の教育制度は進駐軍が押しつけたものだという伝説に反して、実際には南原繁東大総長らを中心に日本の教育者が自ら導入したものだったようです。(http://www.ishii-ikuko.net/staff/kihonhou/minsin.htmなど)  南原氏がいかなる考え・理念をお持ちであったかは、現時点では書籍等で見るしかないと思います。いくつかのサイトで述べられているのは、あくまでもその方ごとの解釈ですので…  さて以上は実は余談で(笑)、小学校教育における他の学校教育にはない重要な特徴・性格として私が挙げたいと思うのは「メタ教育」の側面です。  教育が教師・学校側から生徒・学生へなんらかの知識を伝えるという軸を持つことは明らかだと思いますが、初等教育の時期は「教育を受けることを学ぶ(教育される)」というメタな構造を内部に持っているのではないでしょうか?  中等教育以降は、たとえばそのエッセンスが予備校にあるように、先生が授業時にだけ教室へやってきて授業をし終われば帰っていくという絵に描いたような「知識の伝達」の面があらわになってくると思います。(もちろん程度の差はありますが)  しかし初等教育では、まず集団生活を学び、基本的な社会性をつけ、学校というものに慣れることが学ばれます。文部科学省管轄で初等教育に「幼稚園」も含められているところからもそれは明らかでしょう。幼稚園では「知識の伝達」は各々の裁量に任されています。極論すればほとんど無くてもOKです。幼稚園は義務ではありませんし全入でもありませんから。これは初等教育の枠内で「基本的知識」「学問の領域の端っこ」を抜いた形に他なりません。それが入れば小学校教育となるわけです。  小学校教育では先生の教えることを信じるという「教育形式の最初」を学び、他に中等教育以降のドライな授業形式の最初の段階を学んだり、教えてもらうだけでなく自分でも調べて学ぶという態度を習得し始めます。  これが成功して初めてその次の段階からの「教育」に馴染めるのでは?  もちろんこれは現教育制度の中での組み立てとしてではありますが、近代教育の中では必ずこの「教育されることを学ぶ」というメタ教育の側面が、最初のどこかに入るものではないでしょうか。


 この質問の答えを考えて「メタ教育」ということに思いいたったわけですが、教育学の分野ではこれに類する概念はあるのでしょうか? ずっと以前に免許を取るため私が教育学の授業を受けたときは(結局その免許は使っておりませんが)伺ったことはなかったはず。
 では今は? 似たようなものもありそうな気もいたしますが…。しかしこれを意識しなかったからこそ「学級崩壊」がどうのと騒がれていたとも思えるのです。
 考える種をいただいた質問でした。いずれまとめて書いてみたいです。