アンデスの聖餐

 1972年、南米で航空機事故が起きました。チリ遠征に向かう途上のラグビーチームの学生とサポーターあわせて45名を乗せたウルグアイの軍用機が、冬のアンデス山中に墜落したのです。
 40人を超す人々のうち十数名が墜落後もなお生きていたのですが、彼らは寒冷な山中に食料もなく放り出され、またラジオからの情報でも捜索は打ち切りと知り、絶望的状況のなかに遺されてしまいました。
 二ヵ月後、奇跡的に生き延びた彼らは救出されます。しかし彼らは、事故で亡くなった同乗者の遺体を食べることで二ヶ月間生き延びていたのです。(最終生存者は16名)
(この事件は二度映画化されていますし、P.P.リード『生存者−アンデス山中の七十日』平凡社、という単行本、もしくはP.P.リード『生存者』新潮文庫、でドキュメンタリーを読むことができます)

 
 新聞報道によれば、生き延びた彼らは初めのうち「とても口にすることができないようなことが起こった」と、その行為を口にすることをためらっていたそうです。自らの中でも食人行為を否定的に評価していたのでしょう。
 
 しかし彼らはやがて、その肉は神から与えられたものとしてあった。自分たちは神の賜物を食べたのだと意味付けるようになります。(彼らは全員敬虔なカトリックだったということです)
 さらには、死者はその肉を提供することによって自分たちの中に生きていると捉えるように変わり、やがて肉を食べられた死者の肉親もまた、自分の息子はその仲間を生き延びさせるために喜んで食べられたであろうと述べるようになってきます。

 
 人が他の人を救うために自らの命を投げ打つ「犠牲」というもの、そしてキリスト教的なイエスをモデルとする自己犠牲の捉え方が、どのように一般の人々に解釈されているかを知るという点で注目される事件だと思われます。また現代では、臓器移植のレシピエントやドナーの家族の心理との異同を考えてみると、とても興味深い事例だと考えられるでしょう。


 法的な責任としては、このケースでは「緊急避難」の適用があると思われるため問題にはならないでしょう。緊急避難は、たとえば日本の刑法では「自己又ハ他人ノ生命、身体、自由若クハ財産ニ対スル現在ノ危機ヲ避クル為メ已ムコトヲ得サルニ出テタル行為ハ其行為ヨリ生シタル害其避ケントシタル害ノ程度ヲ超エサル場合ニ限リ之ヲ罰セス…」(第三七条)とあるように、自分に急に降りかかってきた危機を回避するためなら、その程度を超えない限りにおいて、他者に損害を与えて回避しても罰せられないというものです。
 

 しかしこの事例の独特に興味深いところは、事件の全容が明らかになるにつれて当事者たちの食人行為への意味付けが次第に宗教的になっていったことにあるでしょう。その変化には、単に社会的な指弾を受けまいとする保身の心理が働いたのだとは言い切れない何かがあるように思われます。
 カトリシズムの伝統の強い南米でこのような現象が起こったのを見るとき、人間の生と死をめぐる観念が、本人たちが明白に意識しているかは別として、その文化の伝統に根ざして形を現してくることがよくわかるのではないでしょうか。


 犠牲となって死ぬことが、時代と社会を超えて多くの人々の心を打つのは、マイナスの死をプラスのものに転換するところにその一つの理由があるでしょう。賛否はあるでしょうが、脳死による臓器移植というものも、一つの死が別の死を生に変える「犠牲」の新しい形として捉えることができると思います。
 ただし臓器移植という「犠牲」は、死ぬ人が明確で積極的な意図で特定の誰かを救うというのではなく、医療側が主導権を持つという特徴がありますので全く同列に論じられるものではありませんが…。