オリエンタリズム

 E・サイードによれば、オリエンタリズムとは西洋が西洋自らのために生み出した言説です。東洋(オリエント)という存在は西洋の見方によって構築されたもので、決して東洋の側から反省的に把握されたものではないというのが、彼の主張の最も斬新で核になるところだと思います。
 さらに彼はオリエンタリズムを、西洋による「我々の世界と異なっていることが一目瞭然であるような世界として(東洋を)理解し、場合によっては支配し、操縦し、統合しようとさえする一定の意志、または目的意識」と位置づけます。
 サイードが『オリエンタリズム』を著したのは1978年ですが、1990年代に入る頃からの植民地主義コロニアリズム)批判の学問的流れの中で再評価され、ポスト・コロニアリズムの思想的支柱の一つとされるようになりました。


 ただポスト・コロニアリズム自体が、悪の帝国主義と善(被害者)の植民地という二項対立的思考に陥ってしまっていった感があり、声高に植民地の側の被害者性を強調するその側面が「歴史的被害者」の一部の国々で、「何もかも他人の所為であって自分で反省することはない」という責任感の危機を助長していると私には思えてならないのです。それがサイードの意図するものだったのでしょうか?


 サイードの『オリエンタリズム』を振り返ってみると、まずそれは彼自身のアイディアの確認としてあります。また確かに無自覚な西洋への告発としての側面も感じられます。しかしそこで、「オリエント」としての私たちへ何ごとかを訴えるという面において非常に希薄なことにも気付かされると思います。
 彼の発言が(告発として)ほとんど西洋に向けられていたとしたら、次に私たちがなすべきは、私たち自身がどうすべきかという問題への考察になってしかるべきではないでしょうか? もしそれを怠れば、サイードの功績も西洋に反省の材料を与えるのみで、私たち東洋側にとってはただの言い訳作りに堕してしまう危険があると思うのです。それはむしろ彼の着想を半分しか生かせないことにつながるだけでしょう。


(以下備忘。かつての読後のメモを元にした記述)

エドワード・W・サイード 1935.11.1、イギリスの委任統治下のパレスチナエルサレムに生まれる。幼年期よりカイロで育ち、同地のヴィクトリア・カレッジで教育を受け、その後アメリカへ渡る。プリンストン大学で学士号(1957)、ハーバード大学修士号(1960)・博士号(1964)と学位取得。1970年以降、コロンビア大学の英文学・比較文学教授。また、1977年以降はハーバード大学客員教授ほかいくつかの他大学にも関わり学究生活を続けた。この間、アメリカ合衆国市民権を取得。1970年には妻マリアムと結婚。一男一女をもうけている。
  学者としての彼は東洋学の専門家ではなく、フランス構造主義の影響を受けた英文学者・文芸批評家であった。また彼は、PNC(パレスチナ国民議会)の議員として、そして親PLO派知識人の代表的存在として、パレスチナ問題に関しての実践活動にも携わっていた。だが白血病のため2003年9月25日、ニューヨークで亡くなる。享年67歳。
 Beginnings: Intention and Method, 1975
  Orientalism, 1978
  The Question of Palestine, 1979

Orientalism

  • Said, Edward W., Orientalism, Georges Bouchardt Inc., NewYork, 1978.

 (Penguin Books, reprinted in 1991)

(日本語版の帯の惹句:アラブ・イスラムを知るために! 西欧、日本のオリエントへの憧景と蔑視を越えて、今こそ中東(アラブ・イスラム)の本質にせまる本書こそ決定的に読みこむべき一冊である。)

《本書の構成》
  • 序論 自らの基本的姿勢(立場・方法論)を述べ、本論で展開される部分の構成と方向と要旨を記している。

  →立場(動機)「東洋人」意識 未だにオリエンタリズムがオリエントに対する誤解(無理解、曲解、偏見)を温存、再生産している事への批判
  →方法論 オリエンタリズムを一つのdiscours(言説)として表現し、表象する。
  →方向(目的) オリエンタリズムという思考、支配様式(言説空間)の構造と機能を叙述、分析すること

  →オリエンタリズムという語の覆う思考と行動の範囲がいかなるものであるかを示す。
「歴史と経験、および哲学的主題と政治的主題、これら双方の観点から問題の総ての次元を括り込む範囲を劃定する」

  →オリエンタリズムをおよそ1870年ないし1880年頃までの知的、文学的、政治的歴史環境を背景として形成されたものとみなし、その発生、発展、およびその諸制度に関する叙述をなす。
「重要な詩人、芸術家、学者の著作に共通してみられる一連の修辞的技巧を明らかにしつつ、ほぼ年代順に近代オリエンタリズムの発展を跡づける試みを行う」

  →先行的オリエンタリズムの、その後のオリエンタリズムの展開を描き、終節では「イギリス・フランスからアメリカ合州国への主導権移行の特徴を明らかにし、合州国におけるオリエンタリズムの現在の知的、社会的現実を要約的に説明すること」で結びとしている。

オリエンタリズムとは何か》

→複数の意味合いが相互依存関係のうちに絡みあったもの

  • 心象地理(Imaginative Geography)

オリエンタリズム
→西洋人(オクシデント)がオリエントと関係する仕方(様式)
→単なるオリエント関係の膨大なテクストの集合、研究主題(テーマ)または研究分野(フィールド)ではない
・心象地理
→人為的産物〜社会的な世界の必要不可欠な構成要素として研究される文化的、政治的事実(象)

  • 言説(discours)

「オリエントを、文化的にもイデオロギー的にも一つの様態を持った言説として、しかも諸制度・語彙・学識・形象・信条、さらには植民地官僚制と植民地的様式とに支えられたものとして表現し表象する」
・言説空間〜思考、支配様式。複雑な意味の絡み合い。
[・文学的テクストの解釈 〜制度的・文化的な生命体としてのシェイクスピア
・オリエントに関する知識体系〜関心のネットワークの総体
・文化的主導権の形態(文化的ヘゲモニー)が持続性と力を賦与する
〜語る側、見る側、裁く側としてのオクシデント
→起源…近接関係(クロースネス)のうちに求められる
・理論及び(支配の)実践
→オリエントを扱う為のーオリエントを支配し、再構成し、威圧する為の西洋の様式、同業組合的制度
・戦略的位置選定と戦略的編成
→「あるがままの」描写としての表象(representation)ではなく、代替(re-presentation)としての表象を可視的なものにする

・「我ら」ヨーロッパ人を「彼ら」非ヨーロッパ人の総てに対置されるものとして同定する〜内なる構成部分
→力とアイデンティティーとを獲得
→優越感、ヨーロッパ中心主義、「意味する」側の立場
・「意味される」オリエント≠「現象としての」オリエント
〜西洋の揺るぎなき中心性の内より出現した世界(言説世界)
・オリエントから遠く離れたオリエンタリズム
オリエンタリズム研究のオクシデント研究としての側面

・学問的規律=訓練(discipline)〜その問題点
a.固定的な地位  〜可視的で明せきな「そこ」なる存在
b.ヨーロッパ的枠組み  〜問題設定(プロブレマティック)の問題
c.学問の中立性、真理性 〜知識は学問的、純理論的、中立であって…という願望 →ギアツ批判
・学問と文学
ディスクールの再生産

・西洋の自らのために生み出した言説
・「我々」の世界と異なっていることが一目瞭然であるような世界を理解し、場合によっては支配し、操縦し、統合しようとさえする一定の意志または目的意識
→サイードが明らかにしようとしたもの。彼の批判の対象。

 (このテーマについては補遺もあります)