夢のこと

 もう十年ぐらい前になりますが、カラオケに行って(その頃からほとんど行かなくなっていますが…)ふと歌詞に「夢」という言葉が妙に多いという印象を受けました。


 そしてこの「夢」はいったい何なんだろうと考えました。思えば、すでに二十年前からそういう傾向があった気がいたしますが(どなたか定量的な研究をなさると面白いと思いますが)、何かというと「夢を持つ」ことが称揚されているのではないでしょうか?


 私自身は「将来の希望」を少々と「将来の構想」をいくらか立てたぐらいで、恥ずかしながら夢とか野望とかいうものとは縁が遠い人生を歩んできたもので、やたら連呼される(ように私に聞こえた)「夢」という言葉に急に違和感を感じたわけです。


 少々意地の悪い考え方ですし、そこには幾分「やっかみ」なども入っているかもしれませんので、その分割り引いて考えていただきたいのですが、私には「夢」という言葉が「先送りのための装置」として働いているのではないかと思えたのです。


 自分の現状にまるっきり満足している方はほとんどいないのだと思います(私ももちろんそうです)。そして収入や愛情その他ある程度理想と現実をはかれるメジャーを以って自らをみると、往々にして満足すべき状態ではないと思えるわけです。
 もしかしたら絶望する人さえそこにでてくる場合もあるでしょう。そこでこの「夢」という言葉が働くのです。


 満足できない自分の状況に対して、それを直視して失望や絶望を感じるかわりに、ある程度満足のいく「将来の自分」を仮想してそれを夢と呼び、夢に向かっていくらかでも進んでいる自分というもので不満な現状を隠してしまう。つまりは「今失望する」かわりにそれを先送りするキーワードになってるんじゃないかと思ったわけです。
 先送りすれば、もしかしたら…というのはありますから、かなりの割合の人にそれは救いになり得ます。そして私自身、ある程度自分をごまかすと申しますか索漠としたつらい現実から目を逸らすことはありますので、その行為の効用もわかっているつもりです。


 でも十年前の私は「なあんだ」と思ってしまいましたね。ちょっと今よりも若く今よりもシニカルでしたから、そこで「夢」と歌われるものの欺瞞を見てしまった気になったからです。
 今は身も蓋もなくそう考えるわけではありません。その分「ずるい大人」になってきたのでしょう。でも「ずるい大人」は、そういうところも含めて自分を許容したりもするのですよ。だってその方が精神衛生上よいですから…(笑。