忠誠の誓い

 三年前、アメリカ連邦最高裁は公立学校での忠誠の誓い"The Pledge of Allegiance"に、"under God"という語が入っていることについての憲法判断を行いました。(詳しくはこちらのCNNの記事を参照ください)

"I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands: one Nation under God, indivisible, With Liberty and Justice for all."


「私はアメリカ合衆国の国旗、そしてすべての人々のために自由と正義が存する、不可分の、神の下での一つの国家としての(この)共和国に忠誠を誓います」

 この「忠誠の誓い」は、毎年10月第2月曜日の"Columbus Day"に、公立学校の生徒たちが国旗に向かい唱える誓いの言葉です。法廷でも明らかにされたように、この誓いに"under God"という語が議会によって加えられたのは1954年。当時は冷戦構造下で、「至高の存在への認識」をさせることによって無神論共産主義との違いを認識させようとしたのです。


 提訴は公立の小学生の親により出され、この誓いの言葉を言わせることが憲法修正第1条で認められた信教の自由を侵すか否かが争点でした。地裁では原告敗訴、控訴裁では憲法違反が認定され、連邦最高裁の判断が注目されていました。
 ここで連邦最高裁が出した判断は「原告に訴えの利益がない」という訴訟の却下(8名の判事全員一致)でした。憲法判断に踏み込まずに門前払いしたわけですが、3人の判事は付帯意見として「この誓いは愛国心の表現であり、宗教的表現にはあたらない」と付け加えています。
 これは下級審のフェルナンデス判事の次の言葉を支持するものでしょう。

Circuit Judge Ferdinand Fernandez... said phrases such as "under God" or "In God We Trust" have "no tendency to establish religion in this country," except in the eyes of those who "most fervently would like to drive all tincture of religion out of the public life of our polity."


 これはまさに国家と宗教の関係のあるべき姿とはどういうものかが問われた裁判でしたが、"Lawmakers blast Pledge ruling"の記事にもあるように"Political correctness"の行き過ぎの形とも受けとられたようです。
 私は"Political correctness"の名の下に言葉狩りに近いことが行われるのに反対ですし、そこに一定の正当性は認めるにしても、行き過ぎた統制−正しい生き方の強制があるならば、むしろ存在しない方がよいかもしれないと思っています。


 そして今回もし連邦最高裁違憲判決がでていたとしたら…。フェルナンデス判事は語ります、

 'God Bless America' and 'America the Beautiful' will be gone for sure...

(『God Bless America』も『America the Beautiful』も(公的な場では)歌えなくなってしまうだろう)


 これらの歌は私の知るアメリカ人も愛するところのものでした。当時私も最高裁の判断は妥当なものであったのではないかと、他人事とは思えず安堵したことを覚えています。(参考:歌に関する過去の日記)