自分が変われば世界も変わるというメンタリティー

 中韓に対してもの申す人が増えてきたと実感します。ネット上はもちろん、メディアでも批判的な言葉を聞くことが少なくないと私には思えます(まだまだという感想の方もおられるでしょうが…)。これを日本社会の右傾化だと捉えられる方々もいますが、どうなのでしょう。とりあえず何を中韓に向かって言っているのかに耳を傾けてのことでしょうか?私には言うべきは言うというそれだけのことでしかないようにも思われるのですが。


 さてこの頃ですが、そうした「右傾化」批判の方々の話の中にかなり古い日本のメンタリティーが現れてきているような感じがいたします。それはとても宗教的に思われるものです。


 まずそれは、次のような倫理的禁止を言うものです。

 他者に文句をつけるな


 そしてその言は

 自分を省みよ。まず己を変えることに専念せよ。

 という含意をもちます。この自分という枠を「日本人」という枠に広げた考えがここで取り上げているメンタリティーです。さらにそれは

 自分(の心)を変えれば世界(の見え方)が変わる。

 という日本に以前からある、少々古風な宗教的態度につながるように思われるのです。ここの文脈で申しますと、自分(=日本・国内)を変えれば問題解決につながるはずという信念ですね。
 それは世界を直接変えること、他者に働きかけることを微妙にタブー視し、すべての問題を自分の内側に回収して考える態度です。そして

 ひたすら耐えれば相手はわかってくれる

 「百忍通意」というのがこの考えを支える信念でもあります。


 これは安定的な身分制度の中、ムラ社会に親和的な発想だと思います。そしてこの種の言辞は、明治維新前後に勃興した新宗教にかなり特徴的なものだという印象もあります。


 私はこれを左翼的とは全く考えません。全ての問題を外部(のシステム)に求め、暴力(革命)によって社会変革を求める態度とはおよそ対極にある考え方だと見ます。さらに、これを頭から否定することにためらいを覚えない方は多くいらっしゃるでしょうか?私にはこの心性に「伝統的」な日本のよさが入り込んでいるとも見えるのです…。


 もちろんこれは、あくまで共通理解が可能な社会の中でのみ働く倫理的態度だとは思います。その意味ではむしろ(理解不能の可能性がある)「他者」というものを見ていない態度でしょう。この内向きの態度を貫くということを、個人はともかく近代国家としての今の日本が国際政治の中でとるべきではないとも考えます。


 ですがこれも「日本的心性」なんだなあと思えるのです。これも含めて日本なのだと…。
 中韓にもの申す人に対して、こういう「他者に文句をつけるな」という古風な態度を知らず知らずに出していることを、しゃべられている方々は気付いていらっしゃるのでしょうか?