君はひとりじゃない−"シェルター"に駆け込むこどもたち−

 夕べのNHK特報首都圏」で、17歳の少年の「立ち直り物語」をやっていました。
 冒頭、「少年の手記」の朗読から番組は始まります

少年の手記1

 あなたは本当の孤独ってわかる? どれだけ辛く苦しいか。
 誰も頼る人がいない 甘えられない。
 結局一人で闘うしかない現実。
 

 自分には親はいたが、正直親だと思えていないも同然だった。
 本当に孤独だった。
 自分はまるでこの世に必要とされない存在だった。
 

 本当につらい「孤独」。
 そしてそれが、この世の最大の苦しみだと知った。
 

 家族…それが自分にとってどんな繋がりであったか…
 

 憎しみと殺意でつながる ただの肉塊だ。

番組の構成についてのナレーション

 少年が駆け込んだところは、シェルターと呼ばれる「虐待を受けた子供たちなどが、一時的に保護される施設」でした。
 一時は家族に対して殺意さえ持ったという少年は、このシェルターでの生活を通して心の傷を癒し、苦しみを乗り越えたと言います。今では少年は再び家族と暮らし始めています。
 少年はどのような思いでシェルターに駆け込み、何を支えに立ち直ったのでしょうか?


 少年が入ったのは全国で一つしかないシェルターと言われる施設、「カリヨン子供の家」でした。限られた関係者以外に施設の住所は公開されていません。責任者をはじめ、弁護士や福祉施設関係者がスタッフとなり運営しています。ここの開設は昨年6月。以来30人がここに避難してきました。うち15人は従来の施設からの委託です。児童相談所には今も「一時保護所」がありますが、それが常に満員ということも少なくなく、養護施設自体も長期(一年以上)の入所者で満床だと言われます。
 また一時保護所は個室がなく、非行の子も虐待を受けた子も一緒に集団生活をしなければならないので、それに拒否反応を示す子もいるとのこと。
 「他の子と過ごすのは耐えられない…」と。


 少年は4ヶ月間このシェルター、カリヨン子供の家で過ごし、手記を書いて父親に見せました。

少年の手記2

 カリヨンに来る前、自分は闇の中に居た。
 家にも学校にも居場所がなくて、闇が自分の居場所だった。
 

 (父親は自分を)何かあれば殴って、殴る道具みたいな扱いだった。
 

 ずっと孤独だった。
 そして前々から思っていたことが、この頃頭をよぎるようになった。
 …生まれてこなきゃよかったと。

現在の少年のインタビュー

 悪いことした時しか殴られていないけど、厳しかったかなっていうのは感じてて。ただ一言で怖い、態度とか目とか。辛かったし、苦しかったし、誰も頼れないし、信じられないし…

 少年は高校に上がる頃、親友に裏切られさらに孤独を深めていったとされます。そして追い詰められた少年に、別の感情が頭をもたげたとナレーションは述べます。

少年の手記3

 自分は復讐に考えを変えた。自分は己を孤独という地獄に追い込んだ者を殺したくてウズウズしてた。自分が怖かった。


 次、暴走したら本当に殺してしまうという恐怖に悩まされた。

 そして自分の気持ちを何とかして抑えなければと考える少年は、ある日新聞のシェルターの記事を読み、自分で家を抜け出して弁護士に相談しに行ったのです。


 シェルターに入った少年は、その日四畳半の個室に横になり「やっと安心して眠れる…」と思いました。ところが、突然彼は今まで感じたことのない孤独感に襲われます。

 ほんとに一人きりになっちゃったなというのもあったし、これからどうなるんだろうって不安もあったし…


 シェルターでは数人のスタッフがいて子供たちの世話をします。食事は居間でスタッフと一緒にとります。そして食事の後何時間か会話を交わします。でもこの少年は本当の悩みを打ち明ける気にはなれなかったそうです。

少年の手記4

 スタッフは優しくいい人で、ご飯もおいしい。
 

 でも何か新しいことをしようと一歩前に進めば、
 過去の闇の呪縛が襲ってくる。
 

 多くの人の前では、息がつまり、息苦しくなり、前を向いて歩けない。


 結局最初のうち、この少年はいつも笑顔のスタッフを素直に受け入れることはできませんでした。

ひとまず思ったことを…

 あまりに長くなりそうなので、転機を迎える以前の経緯としてここまでで紹介を中断します。
 内に籠る形での最近の子供の悩み。そしてほとんど前触れもないままにキレる子供たちの一つの事例として、なかなか考えさせられるものでした。
 この少年の事例を「虐待」の子のケースと見るか、特殊ケースと見ないで一般例と見るかで捉え方は変わるでしょうが、私はむしろ一般的なキレる子のケースで考えた方がよいように思いました。
 確かに毎日のように殴られたというのは(本当ならば)普通ではありませんが、少年自身が「悪いことした時だけ殴られた」と認識していたように、父親は意味なく子供を殴る嗜虐的な人物ではなかったと推測します。また後でこの少年を引き取りにきた父親の態度も、自分を制御できない人のものではないという印象でした。だとすると子供の心の傷のあり方は、虐待児と一般化されるものよりも普通の子のそれに近いと判断できるでしょう。


 この番組を見た範囲でのみの感想ですが、誰に責任があるかなどという話を避ければ、これは関係性の病としか言い様がありません。そして、これも良くあるもの言いではありますが、この少年に自分で自分を認める契機がなかったことが最大の原因だったと思います。自分を愛するきっかけが失われていたのだと感じました。(それでも実はあまりシンパシーを感じることはできないのですが…)
 またもう一つ付け加えると、このケースが悲劇につながらなかったのは、この子に表現力があったからではないかとも思いました。


 自意識過剰の思春期に、誰かにひどく裏切られたように感じることは稀ではありません。また、親に愛されてないように思うことだってしばしばあるでしょう。そういう中で誰もがキレるわけではありません。冒頭の手記を見ると、厳しい言い方ですがこの子が相当甘えた子であるという印象も抱きます。
 もしこの少年に今少しの表現力がなければ、ここでは弁護士に一人で相談に行くという行為も含めての自己表現のことを考えていますが、鬱屈した気持ちが犯罪に進んだ可能性もあったでしょう。
 人には「はけ口」が必要です。しかし「はけ口」を誤ると、いじめられたからもっと弱い者をいじめるというような悪循環が生まれたりします。また「はけ口」があったとしても、そこでどう表現すればいいのかわからない場合もあると思います。彼は辛うじてそれを生かせたのではないでしょうか。


 私は基本的に安易な「立ち直り話」は嫌いなのですが、このケースはそれでも仕方なかったのかなと思う気持ちもあります。とにかく全部ご紹介するまでは感想も中途半端になりますので、このくらいでやめておきましょう。中入り後の話はまた明日にでも書きたいと思います。