カトリックへの神的顕現

 William Christian Jr.によれば、およそクリスチャンのヴィジョンには中世以来四つほどの種類が考えられています。実は私がその中で一番目を開かされたのは、煉獄の魂や幽霊のヴィジョンというものでした。


 それは、この世に思いを残して亡くなった方が現世の者に何かを伝えるために現れるもので、この「霊的メッセージ」はまさに日本の一般の霊(現象)の捉え方と重なるものではないかとびっくりしたのです。言われてみれば海外の映画、ドラマの類でもGhostが普通に出てきて、筋立てに何の違和感もなく見ているわけですから当たり前といえばそうですが、たとえばヨーロッパの宗教などと構えて考える場合に案外こうした見方を忘れてしまっていたわけです。また私はクリスチャンではなく、やはりそこにオリエンタリズムの裏返しのようなエキゾチシズムを感じていたのかもしれません。
 煉獄の魂や幽霊のヴィジョンは、亡くなった人が天国への通路を開いてもらいたがっているとか、財産の分散を嘆くものとして近親者に解釈されたりします。そしてそのメッセージにこたえて、記念のミサなどを行わねばならないと考えられもするのです。(中世の神学者は魂が見える形態で地上を訪れることができることを認めていましたし、これらの魂はそれほど悪いものとは見なされていませんでした)
 また別の文献で読んだ話ですが、スペインの街道沿いにはところどころに小祠が立っているということで、それはその場所で交通事故死した方のために建てられているとのこと。これはほとんど日本のお地蔵さんなどと一緒ではないかと思えます。確かに煉獄を考えないプロテスタントの方々ではまた少しく話が違ってくるのかもしれませんが、私はどちらかというとそれこそ一般の人々の願いや思いというものに差はないんだなと考えるようになっています。


 さて先に触れたヴィジョンの四つほどの種類を簡単に申しますと、一つは「主要な聖堂におけるヴィジョン」であり、最も個人的といえる「癒し」などの奇跡に関わるものです。次に、上で述べた「煉獄の魂や幽霊のヴィジョン」です。これは近親者にのみ重要な意味を持つと言えるでしょう。その次は「宗教的階層の構成員のヴィジョン」が挙げられます。もともとこれは沙漠の孤独な修道者などが見たヴィジョンを教会の構成員が共有し、さらにそれが一般の信者に伝えられ影響するという流れを持っていましたが、後には修道女や修道士の体験がそのまま始まりになります。そして最後に(終末論的なものも含む)「神学的ヴィジョン」とされるものがあります。これはヴィジョンの解釈が一般信者の生き方に強く影響するもので、あの光のマリアのように信者が体験するものもあります。何か切迫した罰の警告を伴い、黙示録的状況がパラレルに考えられるようなものです。


 神学的ヴィジョンとしては、フランスでは有名なLa Salette(1846)およびLourde(1858)などの顕現がありましたし、ポルトガルでもFatima(1917)の顕現が世界的に名高いものとしてあります。またスペインでもそれほど世界的に名が知られているわけではありませんが、20世紀に入って以来多くの(主にマリアの)顕現があります。これらの顕現は、特に20世紀に入って以降、世の終わりの警告や世界的悔い改めを要求するなどグローバルな状況に応じた内容になってきています。


 一連の話の最後に、William Christian Jr.が紹介するカタロニアの伝説について引きましょう。この伝説の記録を残してくれたのはドミニコ会修道士、Narciso Camosです。彼はカタロニアの全ての主要なマリア聖堂を訪れ、起源説話を記録していました (調査時期1651〜1653)*1

カタロニアのマリア聖堂に残る伝説の記録
・182の聖堂のうち45には伝説が残されていなかった。
・伝説のタイプのうち最も多いのは「マリア聖像の発見」(117)であり、「発見なしの顕現」(14)がそれにつぎ、発見と顕現の双方が伝えられる「複合型」(6)も存在した。
・基本的に次のようなパターンが多い。雄のその地方の動物(ふつう雄牛)が仲介役となって、牧夫を「野生」の場所(地中、洞窟の中、木や野生の植物の中、泉の中)の聖像に気づかせる。人々は聖像を聖堂に納めるが、それはもとの場所に還ってしまう。そして礼拝堂がその場に建てられる。
・伝説における発見者の大部分は大人の男性の牧夫であり、女性はほとんどいない
・発見される母子像…人間の体自身の中の自然の創造力のシンボル…は、自然の中の他の世界への入り口に位置している。
・聖堂の聖像…愛・祈り・約束・贈り物といった人間のエネルギーと恩寵や奇跡といった形での自然や神のエネルギーを取り持ち交換させるもの…は「野生」の世界の中の外部の力への祈願や取りなしのために必然的な場所において発見される。
・仲介役の動物は、半ば飼い慣らされ半ば野生の(文化の中の自然の一部的)存在である。
・発見された聖像は「自然=野生」のものであり、聖遺物などの「文化的」なものと違い、町の中に留まらない。それは自ら帰還し「聖なる場所」をあらわにする。(→キリスト教の部分的異教化を意味する?)


 カモスが収集したこれら伝説13世紀から15世紀に成立したと考えられています。ちょうど光のマリアの顕現と時期的に重なります。
 伝説においては、「聖像」が地方社会と自然の力を仲介しています。ここでの自然の力とは、一つには「天候、虫害、病気に関わるもの」であり、またもう一つには「現世の背後の生と死を司るような世界」として表象されるものです。また仲介(仲立ち)とは、人々の思いや願いに対して恩寵や奇跡を与える契機になるということです。
 自然の中でも、木や山の頂きは特別な意味を持ちます。それは地上世界を天空へ結びつける場所として捉えられるのです。また洞窟や泉は、同様に地上世界を地下へ結びゆくところです。こうしたところで聖像が発見されることになるのは、人々がそこに異界との交流という意味を読み込むからに他ならないでしょう。
 また仲介役とされる牡牛の伝統的シンボリズムは、地母神信仰に関わり、文化と自然を取り次ぐものです。この両義性は、実は「牧夫」自身にも考えられるものでもあります。この仲介者に「女」性が少ないことについて、Christian Jr.は「文化と自然の変容に働くのは雌性(female)だから」と述べていますが、ここについては私はちょっと納得していません(単に私の理解が足りないせいかもしれませんが…)。考える余地はありそうです。
 ただ彼がさらりと「キリスト教の部分的異教化」とまで突っ込んで言っているところには大きく頷きます。マリアの聖像の地中での出現の多さは、聖マリアの受容というものに「豊穣に関わる地母神」との連続性があるということを自ずから語っていると思えるからです。(産むものとしての同一性。シンボリカルな結びつき)


 William Christian Jr.は次のように述べます

 「複合型」のエピソードは聖像の発見を伴うが故にどちらかというと「伝説的」である。
 このタイプの存在は、カスティリア及びカタロニアの「顕現」が、伝説と同じ目的を持ったものであることを示唆している。つまり「顕現」は村と自然の世界を取り持つ契約書であり、その目撃者は人々をその神に、その聖なる場所に、その聖なる時間に導く特権的な仲介者なのである。

 やがてスペインでも1600年頃を境に顕現やヴィジョンの話がほとんど新たに出てこなくなります。異端審問が激しく人々を抑えつける時代が来たからです。私は「正統」な教義が人々の創造性を抑圧してしまうのが、ほとんど悲劇と見えてなりません。そこに悪意があるわけではないのですが…。


 締め括りに最後の引用です。とてもおもしろい書籍*2なので、興味がある方は覚えておられた方がよいと思います。翻訳は出ていないと思いますが…

 本書は15世紀のカスティリヤ地方とカタロニア地方の人々の心の中にあるイメージの世界を探求するものである。…いかに人々が、知っている世界と想像しなければならなかった世界の双方を経験したか、ということを学ぼうとしたものである。これらの事例が存在した時代は、その二つが交差した特異な時点であり、マリアと聖者達が彼らとともにいた時点なのである。

*1:修正しました。カモスの生没年が1651〜1653になってしまっていたので

*2:William A. Christian, Jr., APPARITIONS in Late Medieval and Renaissance Spain, Princeton University Press, 1981.