夢と運命2

 昨日書いたように古代ギリシアにおける夢に関しては様々な相が言及され、それぞれの研究がなされていますが、その夢の一般的な受け取り方にはどのようなものがあったのでしょうか。


 古代末期、ローマ帝政時代の初め、ハドリアヌス帝の時代にアルテミドロスの『夢判断』の書が登場します。これは当時の人たちのさまざまな願望や意見をわれわれに知らせてくれるものです。アルテミドロス

 乳香をたいたり、秘密の名前を口にしたりすることによって、そのときに問題になっている事柄に対する啓示として夢を神々から授けてもらうことができる。
アルテミドロス『夢判断』第四巻二)

と夢を乞うこと(乞夢・請夢)についても言及していますが、いかなる時に夢にどんな者が現れるかについての実例もかなり挙げています。
 それによれば、まず英雄神(ヘロス)たちが大体においていろいろな人たちの夢に現れてきていました。彼らは当初叙事詩的経歴を持つような人物でありましたが、後にはポリスを守る戦闘で死んだ者などもこれに含まれ、まれには戦死した全戦士が英雄神としての祭祀を受けることもありました。ギリシア人の生活が諸方の都市や地方に広がっていった範囲内では、至る所に神殿以外の英雄神の墓も見られ、これらの墓は規則的に毎年行われる祭事を享けていました(ブルクハルト、p.13)。彼らが夢に現れるのは、まさに英雄らしく都市の危急を告げ知らせるためなどということもありましたが、もとの英雄についての記憶が薄れてゆくに従い、墓所の移転や供犠の要求などという内容が多くなったようです。またその英雄が夢魔インクブス)として農家の妻を訪うたといった事例さえもいくつか挙げられています。これらの示すところでは、英雄神は後に一般の人々にとってほとんど危険な妖魔(コーボルト)と同義になっていったようでもあります(ブルクハルト、p.68)。


 また、こうした英雄神の夢への出現とほとんど重なる意味合いにおいて、死者が生きている人たちの夢の中に現れることもしばしばあったとされます。それは大抵その死者になにか気にかかっていることがあるためであって、これは現代日本における「夢枕」観念とほとんど変わらないように思われます。また夢と、なかば、もしくは完全に覚醒しているときの知覚とのあいだにはかならずしも判然とした区別がなされていなかったようでもあります。(ブルクハルト、p.78)


 そして乳香をたく乞夢と同様、死者に会うためにその当の死者の墓の上で、もしくはそのかたわらで眠るという話も存在します。例えば、アテナイソクラテスを訪れようとしたキオスのキュルサスは、もはや生きているソクラテスに会えませんでした。そこで彼はソクラテスの墓のそばで眠ったところ、夢の中にソクラテスが現れて彼と問答をしたといいます(『スーダ』)。ですがこれは夢の主題の話というよりは交霊術(ネクロマンティア)儀式の話になってきているようです。ただ一言付け加えると、古代ギリシアの死者の霊の呼び寄せには特定の場所(ネキュオマンティオン=死者呼寄せ所、プシュコマンティオン=霊魂呼出し占い所、プシュコポンペイオン=霊界案内所)があり、またいわゆるプシュカゴゴス=霊魂呼寄せ師なる職員がおりましたた(ブルクハルト、p.84)。こうした体裁の儀礼に夢が関わるとした場合、ほとんど神殿でのお籠もりと変わらないとも言えるでしょう。


 ここでピュタゴラス学派について触れておきましょう。彼らはその友愛の義務が死を超えた世界にまで及んでいたので、ときとして仲間の墓にお神酒を供えたり(さらには犠牲獣を焼いたり)するだけでなく、死んだ仲間の霊が何らかの形で応えてくれるまで、本来の霊の呼び寄せも行うことがありました。こういうことが、『ソクラテスの精霊(ダイモニオン)について』というプルタルコスの話(第六節から第十六節)における前提となっています。この学派の死んだ成員たちには何よりもまず、遙か遠くの地にまで夢や現し身となって現れることによって、自分の素性を明らかにすることができると信じられていたのでした(ブルクハルト、pp.90-91)。


 時代が下がって紀元前三世紀以降、徐々に公的な祭祀に対する関心が薄れ、夢に関する話も一時その数を減らします。しかしこの時代に流行したただひとつの神がおりました。アスクレピオスです。エピダウロスのその神殿は世界中に名声をとどろかせ、他にもこの神にたいする数多くの祭儀の中心地が存在しました。エピダウロスはその奇跡の評判により民衆に訴えるところが大きかったのですが、特徴的なことに、それは苦しみや病気にたいする神の配慮を切実にねがう人びとの個人的な欲求をみたすものでもありました(ニルソン、p.282)。
 このアスクレピオスの諸神殿におけるインキュベーション儀礼の様相は、おおよそ次のとおりでした。

 まず各地に点在するアスクレピオス*1の名を持つ諸聖域に、盲目・不具・不妊・癲癇等々の不治、難病の患者がやってくる*2
 彼らは聖なる泉で沐浴し、いくつかの清めの儀式を行った後、神殿に仮の生け贄を捧げて「適切な時機」が来るのを待つ。そして時機がくると患者はアバトンと呼ばれる聖室に一人で入り、そこの寝台(クリネー)の上で一夜を過ごしながらアスクレピオス神の顕現を待って眠るのである。アバトンには祭司も夢占い師もおらず、ただ神像と寝台のみがあった。
 アスクレピオスは神像同様の姿(髯を生やし蛇の巻き付いた木の杖を持つ)か若者の姿かで現われる。時には妻や娘を伴い、本人のかわりにこれら従者の一人か助手だけを派遣することもあった。また彼は蛇や犬などの獣の姿で現われることもあったし、杖だけの時もあったと言う。
 そして夢の中に現われたアスクレピオスは、患者の患部に触れて再び姿を消した。こうした「正しい夢」をみた患者は、目覚めた時に癒されていた。夢は一切の解釈を要せず治癒的効果を現わすものであった。もし患者が顕現を体験しなかったならば、その患者が「招命を受けていない」ことが明らかなので、不治とみなされた。(マイヤー、p.97-102。)


 それでは次に「運命」(モイラ)との関わりにおいてこうした夢を見て行きましょう。まず先述した死者の霊の呼びだしに関わった一つの事例を挙げます。

 プルティウム(イタリア半島の爪先にあたる地方)の西海岸にあるギリシア領テリナで、富裕なエリュシオスは望みをかけていた息子エウテュノスに急死されるという不運に会った。それもはっきりした原因も分からずにである。そこで、毒を盛られたのか、それとも魔法にかけられたのかもしれないという懸念から、エリュシオスは「プシュコマンティオン」(霊魂呼び出し占い所)に赴いて、「仕来りに則った」供物を捧げたあと、眠りについた。すると彼は次のようなヴィジョンを見た。
 エリュシオス自身の父が彼に現れた。彼はその父の霊に、自分の息子を殺した下手人の名をぜひ挙げてくれるよう頼んだ。父の霊はこう答えた。「何ゆえ私はここに来ているのか!だが、この者がお前にもたらすものから推測せよ。かくてお前は一切を知るに至らん!」―そう言ってその霊は、あとに従っている姿形もまた年格好も息子にそっくりな一人の若者を指し示した。エリュシオスはその若者に、あなたは誰ですか、と尋ねた。するとその者は、こう答えた。「私はあなたの息子の神霊(ダイモン)です」、そう言って彼に一枚の小さな石盤を渡した。そこにはこう読めた。汝は問うたのだな、愚か者よ?人間どもの単純なる心よ!エウテュノスは運命の定めによって死んだのだ、なぜというに、彼がさらに生き続けるのは良くなかったであろうから。彼にとっても両親にとっても!。
プルタルコス『倫理論集』「アポロニオスに宛てた慰めの手紙」一四)


 この話は非常に運命論的な内容を持ちます。結局エリュシオスは夢見によってなにも得ることはできていません。これは例外的で少数のケースなのでしょうか? ですが実は、古代ギリシアの夢について研究する際に多く用いられる文学的資料を瞥見すると、むしろこうした結末の方が当たり前のように思われるのです。


 ゼウスはギリシアの諸神の中では概ね主神であって、デルポイデルフォイ)においては、アポロンが「ゼウスの誤ることのない御心」を告知するということにもなっています。しかし例えば『イリアス』において、ゼウスはトロイアの陥落をあらかじめ知っていますが、それはそうなることが女神アテネの神意であるからにすぎないのであり、またゼウスがかつてテティスアキレウスを都市の破壊者にすると約束したからにすぎません。ゼウスはまた、自分の息子サルペドンがパトロクロスの手にかかって討死にする運命にあることを前もって知っているのですが、これを変更することはできません。つまりゼウスは運命の支配者としては描かれていないのです。


 ホメロス叙事詩では夢は総じてゼウス大神から遣わされることになっています。それゆえ、この夢は結局のところ運命を変えるものではないのです。ここでは個々人の運命は、あるときはむしろ神々によって、あるときはむしろモイラによって決定され、死の運命はほとんどもっぱらモイラの決定によります。


 古代ギリシアにおける運命観はかなり独自のものとされ、ブルクハルトはこれを

 必然性によって一切は起こり、神々とてこれに隷属しているというこの必然性についての唯一無比の、強力な観念を、ギリシア人は独自の省察と、自然本来の素質によって所有していた。

と強調します(ブルクハルト、p.176)。


 元来抽象名詞であるモイラ(moira、運命)という語は、すでにホメロス叙事詩において人格化されていると受け取ることができます(『イリアス』二四・四九)。ですがそれはあくまでも一つのモイラであり、後代に至るまでこの語は複数形ではどこにも見いだされません(ニルソン、p.161)。古代後期にいたって、はじめてそれは運命を司る三人の女神、クロトー、ラケシス、アトロポスとなりますが(Encyclopedia of Religion, "FATE", Vol.5, p.293)、伝統的にモイラは神々のパンテオンの外に立つものでした。

 人々が、ある場合はゼウスのある場合はアポロンの仲間に入れようとした運命の女神(モイラ)たちは、いかなる神にも属さず、あらゆる神々の上に位している。
(ブルクハルト、p.249)

 それでは神々が夢や前兆を送るのは何のためでしょうか? それは人々を重要な行為に向かわせる動因なのです。藤縄謙三によれば

 ホメロスの世界の人びとは、心の迷い(アーテー)について都合の良い考え方をしていた。神々や神霊が、それを人間の心に送りこみ、一時的に惑わせてしまうのだと人びとは信じていた。
(*藤縄、pp.94-95)

 それゆえ『イリアス』でのヘレネも、戦いの原因となった駆け落ちのときには「アプロディテが心の迷いを送り込んだのです」と弁明している(第四巻二六一以下)のです。また、ソポクレスの悲劇『アイアス』において女神アテネは、「私がこの男アイアスを狂気の中へ押し入れたのだ」(五九行)と誇っているのです。
 また神々は(彼らが関与することなく)すでに決定が下されていて、しかも彼らの知っているような事柄があると、あらゆる種類の前兆により人間たちに前もってそのことを告げる(プロセマイネイン)ことができます。
 しかし結局はそこにとどまるとも言えるでしょう。


 つまり全てを決するモイラがあり、それを覆すことはできないという運命観がギリシア民族の古層にあったと考えられます。この意味で、夢(の知らせ)は運命に従属しているといえるのです。


続きます

参考文献

・Wendy D.O'Flaherty, Dreams, Illusion and Other Realities, The University of Chicago Press, 1984.
・K・ケレーニー、『医神アスクレピオス』、松籟社。
・ヤーコプ・ブルクハルト、『ギリシア文化史3』、筑摩書房、1998。
・M・P・ニルソン、『ギリシア宗教史』、小山他訳、創文社、1992。
・C・A・マイヤー、『ユング心理学概説2 夢の意味』、創元社、1989。
・ホメロスイーリアス』、呉茂一訳、岩波書店、1958。
・藤縄謙三『ホメロスの世界』、新潮社、1996。

*1:死者を蘇らせてゼウスに雷撃で殺されたという伝説的医師の神格

*2:禿頭を治そうとやってくる者もいたということです