夢と運命3

  昨日は、古代ギリシアの人々にとってある意味「夢(の知らせ)は運命に従属」していたということを書きましたが、通常の意識において、人々が運命論的な諦念を常に抱いていたとまで考える必要はないと思われます。一身の平穏や幸福を神々に祈る時、そして明るい未来を知りたいと占いを行う時などに、そうした行為が結局無駄であると人びとは考えてはいないのです。
 しかしこの底流の運命観こそが「ギリシア悲劇」のあの悲劇性を生み出したものなのではないでしょうか?

 『オイディプス王』においては占卜、すなわち予言者のそれと神託のそれとが、この作品の一切を結び付ける主要な力を形成している。冒頭からなにやら胸騒ぎを覚えさせるアイスキュロスの『アガメムノン』においても事情は同じである。この悲劇では占卜術はまたしても独特の雄大な仕方でカッサンドラという姿のうちに人格化されており、彼女はただに宮殿の壁を通して、今まさに内部で起こっている事柄を見抜くばかりでなく、テュエステスの饗応以後に起こった過去のことも知っており、今から先の未来のことも、すなわち、アイギストスクリュタイムネストラを待ち受けている報復をも予見している。この報復の来たらんことを慰めとしつつ予言者カッサンドラは宮殿へ、そこで自分を待ち構えている破滅へと歩んでゆく。「もう十分に生きました!」と言いながら。
(ブルクハルト、pp.161-162)

 古代ギリシアの神話と文学作品の中に出てくる予言者にして占い師のマンティス(Mantis)の運命は、概ね「人々がその言うことを信じない。マンティスは人々を説得することができず、結局禍いが人々に降りかかってくる」と定式化できるかもしれません。
 夢のお告げにおいても、人々はちょうど神託のお伺いを立てるときのように、運命を左右することを期待するのではなく、むしろただ運命を知りたいと望むだけなのです。あるいは首尾一貫して彼らは

 運命を自由に御するということでお伺いを立てたり、あるいは祈願したりすることは決してなかった
(ブルクハルト、p.225)

と考えることすらできるのかもしれません。


 アリストテレスは「もしある神がそういう夢を送るのだとすれば、それは昼間でもやって来るであろうし、また賢者のところにやって来るであろう」〜つまり、行き当たりばったりに誰のところにもやって来はしないであろう、とします。彼は「夢を単に神霊的なものと考えていた(ブルクハルト、p.140)」というより、夢を眠っている間の魂あるいは「精神」についての感覚的認知の産物であると論じているのです(Kruger, p.84.)。


 先述のガレノスの「夢の体液原因説」にしても、このアリストテレスの「感覚認知説」にしても、実は上記の運命論に親和性があるのではないかと私は考えます。どちらにおいても夢自体に力は無く、それは何かを告げ知らせるだけのものであり、夢を媒介するものがどのようなものであれその背後にあるものこそが重要と考えられるからです。だとすれば、彼らにとっての夢もまた運命に従属するものに近いと言えるでしょう。


 こうした夢の捉え方は、私には何も古代ギリシアに独特なものではなく様々な文化のいろいろなところに見られるものであろうと思われます。たとえば数ある『夢判断』の類書では、火事の夢をみたら財産が増えるとか葬列の夢をみたならば幸福が訪れるとか、その夢が運命の兆しを運んでくるものだと考え、さまざまなパターンをあるいは象徴的にあるいは直接に解釈しわれわれに教えます。
 私はこのタイプの夢(解釈)を「前兆夢」と呼びたいと思います。それは運命を知らせるものです。しかしその運命は私たちにとって、すでに決められたものというのに近い在り方をしているのです。


 さて、夢と運命の関わりを主眼にして見ると、アスクレピオスの癒しの場合は、この状況が全く異なってきます。そこでは夢は運命に打ち克つ、というよりも運命を新たに創り出しているのです。


 アポロドーロス『ギリシア神話』でアスクレピオスは次のように描かれています。

 (一説に)アスクレピオステッサリアのプレギュアースの娘コローニス(とアポローン)の子であるという。そしてこれによればアポローンはこの女を愛し、直ちに交わったが、彼女は父の意見に反してカイネウスの兄弟イスキュスを好み、彼と交わった。アポローンはこれを告げた鴉を呪って、それまで白かったのを黒くし、女を殺した。また彼女が焼かれている時に火葬台より嬰児をひき掠って、ケンタウロスケイローンの所に連れて行き、子供は彼の所で育てられる間に医術と狩猟の技とを教えられた。
 そして彼(アスクレピオス)は外科医となり、その術を非常に研鑽進歩させて、ある者の死を妨げたのみならず、死者をもよみがえらせた。アテーナーよりゴルゴーンの血管から流出した血を得て、左側の血管より流出せる血を人間の破滅に、右側よりのを救済に用い、これによって死者を蘇生させた。…ゼウスは人間が彼より治療の術を獲得して互いに助け合いはしまいかと恐れて、彼を雷霆で撃った。そこでこれに怒ってアポローンはゼウスのために雷霆を造ったキュクロープスらを殺した。
(第三巻一〇節三)

 この医神アスクレピオスの従者は治療を司る数柱の守護女神で、その中には、健康それ自体を表す抽象名詞であるヒュギエイアがいます。またその他にも、頭巾の付いた看護用上っ張りを着た快癒を司る小さな神霊(ダイモン)、いわゆるテレスポロスないしはエウアメリオンがいます。


 古代ギリシアにおいても、神殿内で見る夢が重要な政治上の決定に関わることがありました。前四世紀になってからも、アテナイの民衆(デモス)はオロポス(アッティカの北部)に三人の使者を送り、そこのアムピアラオス神殿に参籠させ、神殿領の疑わしい領有に関して夢のお告げを受けさせています(プルタルコス『英雄伝』「アリステイデス」一九、およびヘロドトス『歴史』第八巻一三四節)。
 またラコニアのタラミアイには謎めいたパシパエ(クレタ王ミノスの妻)の聖所がありますが、危急存亡のときには監督官(エポロイ)たちはこの中に眠って、啓示を受けようとしたのです(プルタルコス『英雄伝』「アギス」九)。
 このような決定がなされるのは、神殿に中心のシンボリズムがあり(言い換えるならそこで神的存在の世界との交流が可能となり)、そこにおいて新たなる世界(=意味)を現出することができるからです。


続きます

参考文献

・ヤーコプ・ブルクハルト『ギリシア文化史3』、筑摩書房、1998。
・Steven F.Kruger, Dreaming in the middle ages, Cambridge University Press, 1992.
・Patricia C.Miller, Dreams in Late Antiquity, Princeton University Press, 1998.
・アポロドーロス『ギリシア神話』、高津春繁訳、岩波書店、1953。
・『プルタルコス英雄伝〈上・中・下〉』、ちくま学芸文庫、村上堅太郎編、筑摩書房、1996。
・『世界の名著5 ヘロドトス・トゥキュディデス』、村上堅太郎編、中央公論社、1970。