祇園祭
さて今日が祇園祭の山鉾巡行ですが、祇園祭の由来などについては私はそれほど語るものを持っておりません。だいたい検索すればわかる程度のことです。いくつかサイトを見ましたが、こちらのサイトの記述がバランスよくまとまっているように思われました。
祇園祭について大づかみに要点を並べますと
- 今は「八坂神社」の「祇園祭」だが明治以前は「祇園社」の「祇園御霊会(祇園会)」だった(→神仏分離令1868の影響)
- もともとは疫病除けの趣旨をもつもので、牛頭天王の祟りの疫病を鎮めるために貞観11(869)年始められた(→社伝)
- (しかし天禄元(970)年の御霊会に始まるとする説が有力←岩波仏教辞典)
- 祇園社の牛頭天王は本来は除疫神。スサノオ尊に習合
- 鉾(や松)はもともと疫病を憑かせるためのもので、憑かせたものは流すか焼き捨てるのが筋であった
- 山鉾巡行などは、古くから町衆が自分たちで主体となって営んでいた
というところでしょう。
あえて一言付け加えるなら、古来の民俗「疫病送り」(や「虫送り」)のバリエーションの一つだという視点が諸方のサイトにないのはどうかと思います。ちょっと記述に問題はありますが、事実関係としては下記のものがわかりやすいです。
科学的知識にもとづく医学の未発達の時代に,疫病流行の原因を悪霊のなせるわざと考え,これを丁重に鎮め,送り出すことによって退散させようと行われた呪術。その方法には日本各地にほぼ共通した形式があり,しばしば人形や御幣などを疫神の依代にして,ムラの人々が行列を組んで村内を巡り,松明の灯りや鉦太鼓の音・囃言葉や念仏などの呪言などによって,村境や海へ送り出す共同祈願の方法が多くとられた。ときには,依代として特定の人間が選ばれて送られる例さえあった。形代を伴わない場合でも,藁づと・藁舟・輿・藁馬などを疫神の霊の乗物として同様な鎮送呪術が行われた。(後略)