理想

 「もっと現実を見ろ」というような言い方が、ある時期盛んに単なる現状肯定、現状追認を要求するだけの卑小な言葉として使われていたと記憶しています。何らかの理想を求める立場に対する否定的な言葉としてあったのです。でもその頃から私は、現実を見るということがそのまま現状肯定を意味するわけでもなく、また現実を知るということが理想を語るなということでもないと思っていましたので、理想を否定するニュアンスでこの言葉を用いるオトナは頭を使っていないと自ら告白するようなものだと考えていました。


 確かに理想主義的な立場に共感を覚えていた私ですが、後に一部の理想家諸氏の言動に違和感も感じるようになります。まずある種の理想主義の独善性がどうにも鼻につくことがありました。信念を持って理想を語りそこに近づくのは構いません。しかしその理想を全く疑いもせず、他者に押し付ける態度というのは個人的に趣味ではないと思えたのです。
 またその独善性ゆえの一つの帰結でしょうが、未だ成らざるものとしての理想であるにもかかわらず、その理想の立場から現実を、そして今を生きる人間を断罪するという愚かな行動も少なからず散見しました。そういう経緯があって、理想主義だからといって何でも肯定するような幼さも私を去ったのです。


 理想はあくまでも現状を変革する契機としてあると私は考えます。その意味で理想主義こそ現実を見ることが必要になってくるはずです。いささか牽強付会ですが「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」ということではないかと思います。つまり理想を掲げる者が現実を知らなければ、どう現実を変えていくか見えるはずがないということです。変革の実をあげるためにこそ、現実把握、現状分析が重要だと考えます。


 理想がある意味現実と隔絶したものであって、そこに至るはるか遠い道筋がなかなか見えない。それでもその理想に憧れる、という状態ならば、それは私にはある種の宗教信条だと思えてしまいます。そういう心の希求をネガティブに捉えるものでは決してありませんが、それはきちんと「信仰祈り」*1とすべきです。現実を変革しようとする「理想」の枠で語るべきものではありません。私はどこかに線引きがなければと思うのです。


 あまりに暑いので、とりあえずここまでにいたします。涼しくなってから続きをかければ…

*1:こちらの表現が適当と考えて変えました