憲兵警察

 SAMURAI7を見ておりまして、ちょっと気になったのがサムライ狩りをする警邏隊(警察)の人数が少ないのではないかということでした。最初は円筒ロボットなども機動力として持っているのでそれなりかなとも思いましたが、カツシロウの刀で両断されるくらいの装甲でしたから、飛び道具をほとんど用いないあの警察力で「不逞のサムライ」たちを一方的に狩ったり鎮圧したりできるものかと、再び疑問に思ったのです。
 そこで思い出したのが以前に書いた悪名高き「憲兵警察の数」についての記事です。備忘として記しておきましょう。


 日本の朝鮮統治を語る場合、それを「類を見ないほどの悪政」として考える方々は、大抵「警察官(憲兵警察)」のことを持ち出します。実際の歴史的な政治・統治が完全な善悪二元論で捉えられるとは私は少しも思いませんし、エモーショナルにこの「憲兵警察」という怖いイメージが使われて「悪政」だったと決め付けられるのにささやかに反論いたしたいと思うのです。


 着目するのは「警察官(憲兵警察)の数」という量的データです。資料としましては、資料批判の水掛け論に落ち込みたくはありませんので、むしろ日本の朝鮮統治を悪であったとおっしゃる側の方の使われる資料をそのまま用いたいと思います。
 それでは、大阪産業大学人間環境学助教授(朝鮮近現代史)藤永壯氏の「朝鮮近代史の講義ノート」から(二次資料ではありますが)引かせていただきます。
 http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/kougi.htm
(※こちらのサイトを読めば、藤永氏は日本の朝鮮統治を正当化するなどという立場の対極でいらっしゃることが明らかだと思います)


 さて、大阪産大講義ノートの「1920年代の「文化政治」」を見ますと
「警察官の急増 1919:6,387名→1920:20,134名」とあります。
 この記述のすぐ下には「警察官署(警察署・駐在所・派出所)数 1919:736→1920:2,746」とあり、解説として「1918時点で2面に1カ所→1920「1面1カ所」「1府郡1警察署」確立」となっています。


 それでは計算してみましょう。1920年に「1面1カ所」で警察官署数が2,746なので、面数もほぼこれと同数とすると、1920年時点で単純に1面あたりの平均をとると…


 およそ 7.3人(一面=1行政区画毎の憲兵警察の平均人員数)1920年
 単純平均で、一市町村あたりこれだけだということです。これが「急増」した後の武断政治期の数です。


 では次に1919年(これは3.1独立運動の時点です)の面あたりの概数を考えましょう。1918年時点で2面に1カ所とされていますから、実数はこれより下がるものと考えられますが、とりあえず2面に一ヵ所配属される(2,746/2=1373ヵ所)と考えて計算すると


 およそ 4.6人 …1919年
 これが「三・一独立運動時の一市町村あたりの平均の憲兵警察人数です。


 そしてそのページの警察の記述の下、選挙有資格者のところをごらんください。「朝鮮人6,346名(1700万人中。0.037%)」とありますね。ここでは当時の朝鮮国民は総数でおよそ1700万人いたと推定されているのです。
 もちろん都市部と農村部では配置人員の多寡はあったでしょうし、首都の京城には人口比から言って当然多くの人員が配属されたと考えられます。ですが、この講義ノートで「格段に威圧的・法的手続を経ずに朝鮮人を逮捕・処罰」とされている憲兵警察ですが、武断政治時代とされている時期にその最大値2万名を以ってしたとしても、「全朝鮮国民的運動」が行われたとしたら治安が維持できるわけがありません。
 この推測に無理はあるでしょうか?つまり当時の人々はむしろ憲兵警察に協力的であったという推測が成り立つと思えるのですが…


付記:
 この大阪産大の「講義ノート」ですか? これもまた無批判に韓国側資料を鵜呑みにし、ご丁寧にそれを高校生の受験参考書(サブノートか?)風にまとめてありますが、ある面これは怖いです。つまり用意された歴史をそのまま学生が暗記しなければならないようになっていますから、先生に評価してもらいたければこれを覚えるしかないということになります。
 いるんでしょうね。丹念にこれを覚えてよい点を取るような学生が。でも私は大学生がそれでいいのか、と声を大にして言いたいと思います。