地蔵信仰

 id:oasis-aさんから地蔵盆について何か、というリクエストをいただきましたが、地蔵信仰の流れについて若干のことしか調べられておりません。数日休んだリハビリということで、その少しばかりのことを書かせていただこうかと思います。(今回もまた『仏教辞典』を主に、他に数冊調べただけですので足りないこともあるかと思いますが、そこらへんはご容赦を…)


 お地蔵様の原像は二つに分かれているようです。一つはインドの地の神。もう一つは道教の影響を受けた地獄の救い主です。粗くまとめますと、


 大地の神>地獄の救済者・地獄の審判者>苦を身代わりに受ける救済者(>賽の河原の地蔵)>子供の守護者


 という流れがそこにあるようです。

天竺

 インドでの地蔵信仰は、バラモン教の地神プリティヴィー(女神)が仏教に組み込まれ、菩薩の一人となったものと考えられています。地蔵の名称自体は、仏教に入った時のksiti(大地)+garbha(胎・子宮)という原語(ksitigarbha)から由来し、地に包蔵されるということで「地蔵」という漢訳ができています。
 インドの仏教論書で記される地蔵を讃える経典の文句より、地蔵は「釈迦没後、弥勒出世までの無仏の五濁悪世の救済を仏に委ねられている存在で、地獄をはじめ六道を巡り、閻魔以下さまざまに姿を変えて人々を救う」とされていたことが知られます。
(死後審判の思想は仏教以前から存在し、死王ヤマ(閻魔)と地獄との結びつきもインド仏教においてすでに存在しています)

晨旦

 唐代に堕地獄の恐怖と末世思想によってその救済者としての地蔵菩薩に信仰が集まります。そして宋代では、十王思想との習合によって生み出された偽経(インド伝来ではないお経)や地蔵説話集の撰述もあって民間にこの信仰が浸透します。
 何より地蔵は六道(特に地獄)で人々が苦しむ時、その苦しみを代わって受けるという救済者として考えられるようになったのでした。
道教においては太山府君の冥界思想があり、それが仏教と習合して十王信仰を生みます。十王とは冥界で死者の罪業を裁く十人の王のことです(閻羅王すなわち閻魔もこの一人)。唐末に諸宗融合の宗教動向が出てきた際、仏教に道教が融合してこの十王信仰が現れました。これは閻魔大王を地獄の主宰者とする審判思想の成立につながります)

本朝

 奈良時代に地蔵像や経典が渡来しましたが、地獄の観念が定着していなかったためか信仰が広まったとは言えませんでした。しかし11世紀ごろ浄土教が民間に広まる頃から地蔵信仰が庶民の間で盛んになります。また鎌倉時代には、旧仏教の側で悪人成仏の新仏教に対抗する意味で盛んに地蔵の現世利益が強調されます。
(浄土往生の善根を積めず、堕地獄を怖れる民衆に地獄の苦を除いてくれる地蔵の利益がアピールしたと思われます。また室町時代の葬式仏教の発達に伴い、地蔵は亡者を審判する閻魔の本地としても尊崇されるようになります)

身代わり地蔵から子供の守護神へ

 信者の苦を代わって受ける地蔵の性格から、信者の願いを代わってかなえたり、危機に際して身代わりとなる「身代わり地蔵」の信仰が盛んになり、地蔵の看病や田植(泥付地蔵)の話、戦場で危難を救ってくれる話(勝軍地蔵・矢取り地蔵・縄目地蔵)などが生まれた。


 近世には、延命地蔵・片目地蔵・首無し地蔵・笠地蔵など、無数の現世利益的身代わり地蔵が創出されるとともに、地蔵が若い僧の姿で現れるとの古来の通念から、子供の守護神的面も強くなり…
 (岩波『仏教辞典』)


 幼児が(逆縁で)亡くなった時、三途の川に行く前に賽の河原に赴かなければならないという民間信仰がありました。平安時代から盛んになった地蔵の信仰の中でも、死児はこの賽の河原で小石を積んで地蔵菩薩に供えることによって罪障を去り、無事三途の川を渡ることができるという信心が、地蔵菩薩をいつしか子供の守護神として捉える見方につながります(賽の河原の考え方は、実際には地蔵信仰と賽の神(道祖神)が習合して成立したもののようです)。「賽の河原和讃」が有名です。

 この人死にたらん後は、かならずさいの河原に生れて、父母恋しがる子どもに立ちまじはり、地蔵おぼさつの御衣の下にかくれ(『風俗文選』)


 その次にさいのかはらあり。右の方にて往来のともがら、石をつみ念仏申して通るなり(『東海道名所記』)


 地蔵盆は地蔵の縁日とされる旧暦7月24日に子どもたちが地蔵を祭るものとされますが、これは地域の性別年齢集団に担われるタイプの「講」が残ったもののようです。地蔵講が西日本の地域において子供に担われていた名残と考える方がおられます。


 残念ながら手持ちの資料ではこれぐらいしかわかりませんでした。知り合いの京都の人にちょっと電話しましたが、あれお菓子もらえるもんやろ程度の反応しかなく(情けない 笑)、今のところはこれだけです。