異端の系譜(日猶同祖論)

 wnm@言語学研究室日誌さんの「韓流ドラマへの違和感」という記事の一部なのですが、次のような一節がありました。

(前略)最近妙に目立つようになってきた「日本人の起源はユダヤ人」本は、日本人の人種的雑種性を考えると、明らかに眉唾物です。日本人の起源が一つではありえません。ただ、朝鮮半島や東南アジア経由でいろいろな民族が植民に来たことは確かですし、中央アジアシルクロードも西方の文化が伝播した経路というだけでなく、文化の担い手であった様々な民族の通り道でもあったのですから、西方の様々な民族(含ユダヤ人)の血が日本人のどっかに紛れ込んでいても不自然ではないだろうと思うだけです。逆に、なぜユダヤ人だけを抜き出して取り上げるのか非常に不可解です。(略)


…こうした「日ユ同一起源論」本は、今後、ユダヤ外資がどっと日本に入ってくる前の「精神的な地ならし」と考えるのは考え過ぎでしょうか。

 私は最近「日本人の起源はユダヤ人」的な本が目立ってきたということ自体知らないのですが、かつてあった「日猶同祖論」については多少聞きかじって知っており、意見も若干ありますので、ここでそれを書いてみたいと思います。


 ユダヤと日本の歴史的つながりを言う「日猶同祖論」はwnmさんがおっしゃるように根も葉もない話なのですが、明治以降の神道諸宗派の一部の中に反ユダヤとともに確実に存在したものです。問題はなぜ荒唐無稽なこのような話にリアリティーを感じる人がいたか(あるいは今なおいるのか)ということだと思います。


 明治期の「日猶同祖論」は全くユダヤ外資とは関わりがなかったことははっきりしています(笑)そこでは、ユダヤ十二支族のうちアッシリアのために離散した「失われた十支族」の一部が日本まで落ちのびたということが語られ、お決まりのように「伊勢神宮参堂の石灯篭に刻まれたユダヤの紋章(ダビデの星)」などが例証として出されます。ですが、このダビデの星ユダヤのシンボル的に使われるようになってきたのは比較的新しいことでヨーロッパでも近代になってからのことですから、もともと古代ユダヤの支族に結びつけるものではありません。また言語学的にも遺伝学的にもありえない発想ですし、何より天孫降臨から現在へまっすぐに続く正統的な神道歴史観に、ユダヤの終末論的・救済論的歴史観が重ねられる面はなかったはずなのです。


 この論を語った代表格は大本教出口王仁三郎であり、著述としては小谷部全一郎の『日本及日本國民之起源』厚生閣(題字は頭山満!)です。そして大きくまとめて見ると、非正統的もしくは反正統的神道諸宗派においてこの同祖論が語られていたのに気付かされます。
 中央大学の室井庸一氏は、アマテラスに対するスサノオの存在(同等でありながら差別待遇を受ける)に経済的・身分的に不当に底辺に置かれていた民衆の信仰が重なっていて、そのスサノオ・コンプレックスを汲み上げた非正統なる神道宗派にのみ「日猶同祖論を核にする親ユダヤ的傾向が見出される」とします。ここでユダヤの名の下に人々が受け取っているものは「迫害されるスサノオ」なのであり、それは「天皇制のために地下に埋没されていた神々の、もう一つの神道」を構築するための新しい神話だと捉えられるのです。

 (王仁三郎の解釈では)ユダヤの民のうち、国外に追放された十支族の裔は、ユーラシア大陸を放浪して東アジアへ、ついには日本へ上陸した。天皇家とて例外ではない。神武天皇が即位する前後の記事に明瞭なユダヤ儀礼の痕跡が見られる。しかし、こんにち特定のユダヤの裔というようなものはない。なぜなら混血によってユダヤの民は全アジアの民衆の中に拡散されてしまったからである。スサノオは消えた。なぜなら君も私も彼らもみんなスサノオなのだから。こうして日本の運命は世界のそれに連動させられる。
 (室井庸一「スサノオ伝説とユダヤ」)


 民衆の救いを考えた非正統の神道宗派は、迫害されたのち約束の時を与えられるというユダヤ教歴史観を、まさに自らに重なるものとしたかったのかもしれません。予定される救済というヴィジョンを発見する苦悩にみちた終末観。ユダヤ民族自体が差別され不当に扱われてきた民族であり、それはヨーロッパに不当に簒奪されるアジアのイメージと、日本において不当に苦しみをうける底辺の民衆の姿に重ねられます。そしてユダヤが預言によって未来に救済されるのならば、今苦難の中にいる低められた人々もまた「選民」として救われるはずだという救済論がそこに潜んでいたのではなかったでしょうか?


 また私は室井氏の「日本の運命は世界のそれに連動させられる」という考察から、モルモン教聖典である『モルモン経(けい)』を想起しました。『モルモン経』で語られる歴史も実は驚くべき内容を持っておりまして、そこではユダヤの「失われた十支族」が大西洋を渡り、アメリカ先住民(インディアン)となっていたという神話が語られているのです。
 私はそこに、新大陸で根無し草となっていた人々、先住民を押しのけて自分たちの世界を広げることに無意識の罪悪感を感じていた人々が、古代ヨーロッパの歴史とアメリカの歴史をつなげる(一直線に結ぶ)ことで心の安定を求めたのではなかったかということを考えていました。
 ジョゼフ・スミスが受けた啓示は、新大陸を整合的にヨーロッパ史(すなわち「世界史」)に組み込む話でありました。そこにミッシング・リングとしてユダヤの「失われた十支族」が用いられているという点での明治期の「日猶同祖論」との興味深い類似は、あるいは「日猶同祖論」にも「世界史への結びつき」を希求する意図があったのではないかと想像させるに足るものを持っていると思います。まだ単なる思い付きに過ぎないものではありますが…


 wnmさんが指摘される現在の「日ユ同一起源論」本の流行については全く読んでおりませんので何とも言えないのですが、明治とはかなり状況が異なった今の日本においてそういうブームがあるとすれば、上記「日猶同祖論」の捉え方の再考も含めて、かなり面白いことが考えられるのではないかとふと思った次第です。