メタ教育追記

 ヒロさん日記さんの「権威となまざし:シュタイナー教育のパノプティコン」という記事から、先日の日記トラックバックをいただきました。


 当該の記事の

 学校には「権威あるまなざし」が求められる。

 という部分には全く同意です。そして具体的に描かれるシュタイナー教育の内容はとても興味深いものです。あちらにもコメントとして書かせていただきましたが、「権威主義」を笑えるような人間、言い換えるならば権威によって判断を左右されない自立した個をつくろうとする理想は悪くないと思います。でもおそらくその試みはどこかで失敗して、単にただ「権威」を笑う(尊重しない)人間、ある意味DQNな方々を量産してしまっているのではないかと危惧しております。


 問題はそのやり方であって、権威自体を悪として否定すれば誰も権威主義にはならないだろう…というような短絡的で杜撰なことが考えられていたのではないかと思うのです。最初から権威と感じられるもののほとんどに異議を唱えるような方法ですね(具体例としては「日の丸・君が代論争」などが頭に浮かびます)。権威を認めないこと自体が、何か平等で「民主主義的」な行いと思われていた節があるのではないかと…。


 そういう杜撰なことが行われていたとしたら、それはやはり間違いだと思います。民主主義云々と言いましても、いかなる民主国家も「国の権威」などを否定するものではありませんし、全く権威を認めない社会というのは(無政府主義を除いて)私には考え難いものです。 たとえば法の権威が顧みられないような社会には、私は絶対に生きたくありません。


 権威主義を避けるということは、権威を否定することではありません。闇雲に権威を否定せず、それを良く子供たちに教えていくことが、これからの教育が目指すべきところではないかと考えています。そしてそれは「学校」のみに丸投げされてよいことではなく、家庭教育も重要な位置を占めるべきもの(過去日記)だとも思っております。


(※未読の方がおられましたら、ぜひ上記ヒロさん日記の記事をご覧になることをお勧めいたします)