韓国の漢発言

 比較的最近日本に渡って来た韓国の方と飲食したりすると、絶対に日本の「割り勘」について苦笑交じりに皮肉られます。年上の者、男性、そういう方が皆の分を払おうとしないのにすごく違和感を感じるみたいです。いわゆる「立場が上」の者が懐の広さを見せることをしない日本(かつては良くあったと思いますが)に、漢気(おとこぎ)の無さを感じているように見えます。


 そういう見栄やこだわりは決してその局面で合理的には思われませんが、どこかで社会のシステムを維持する仕組みの一つであったと思いますし(その意味では合理的)、多分に文化的なものです。それが行き過ぎればすぐに弱点になるところだと考えますが、たとえば国として面子をかけて退かないというところなどは今の日本の外交にとても欲しいと思いますし(大人ぶって実を取ればいいとかばっかり言うな 笑)、国として「自尊心」がどうとか言いまくる韓国にはある意味羨ましい部分も感じています。


 さて、そういう漢の心で見得を切る韓国の発言をないがしろにするような日本人がおられます。鳥取県知事片山善博氏です。この頃しばしば見かけるテクストですが、彼は「人権先進県づくり〜鳥取県の実践〜」で次のように語っています。

 よく、在日韓国朝鮮籍ならば本国に帰ったらいいじゃないかとか、この際帰化したらいいじゃないかという人がいますが、暴論です。歴史的な経緯、過去の歴史の事実を必ずしも踏まえていない議論が多いなというのが私の印象です。
 1910年に朝鮮半島を日本に併合した際に、そこに住んでいる人達を無理やり日本人にしたわけです。そして敗戦後途端に朝鮮半島の人達についての国籍をなくしたわけであります。途端に日本人でなくなり、在日韓国朝鮮籍ということにならざるを得なかったわけであります
 よって、このような事情があるから、単に外国人が好きこのんでここにいて、それで地方参政権よこせとか国籍条項を撤廃して公務員になる権利をよこせと言っているわけではないのであります。
鳥取県では、この在日韓国朝鮮籍の皆さんに対する問題としては、県職員の採用について国籍条項を撤廃いたしました。現在2名一般職として通名ではなくて本名で仕事をしてもらってます。
 地方参政権につきましては、法律上の問題でありますから法的にどうするかという問題はあります。ただ、私は、基礎的自治体においては、在日韓国籍の人、永住権を持っている人、特別永住許可を受けてる人はあってもいいのではないかと個人的には思っています。

 これは「おためごかし」も甚だしいです。韓国の漢気を無視しています。一方的に憐れんで見せるということを本当に彼らが望んでいるのでしょうか?


 1949年に「駐日韓国代表部大使がマッカーサー連合軍司令官に伝えた在日韓国人法的地位に関する見解」では、彼らは明確に在日の人たちの日本国籍を否定していると思われます。(強調・下線は引用者)

 いわゆる韓日合併条約というものは、3千万の大韓民国はひとりとて承認しなかったばかりではなく、侵略国日本の武圧により一歩的に仕組まれた行為であり、大韓民国韓日合併条約を契機として敢行された日本の軍事的帝国主義の弾圧のもとで厳然として存在した。従って、大韓国民は1時として日本国籍を取得したこともなく、3千万の白衣民族があくまでも大韓民国の国籍を確保してきたということは国際法上明白なのである。


 そして片山氏のような歴史認識を「悪毒な詭弁」と一蹴する漢発言をしているのです。

 一説によれば、大韓民国韓日併合により日本国籍に入ったものであり、講和条約までは日本国籍保有を継続するものとし、大韓民国の領土は日本の分譲地であるという前提のもとで大韓国民を分譲地の人民と軽視し、今日にいたっては在日同胞に対し最初から定住するとする自由意思により渡日して来たという見解から、第1次大戦の独逸の分譲地における国籍選択問題と同一視できると言うが、これは大韓民国を故意に謀略する日本人学者の悪毒な詭弁にすぎない。 
なぜならば、韓日合併条約により日本国籍を取得しなかったということは前記した通りであり、仮に一時的にせよ日本国籍を取得したとしても大韓国籍と2重に取得したのであり、開放と共に日本国籍は離脱されたのである

 私たちは真摯にこの漢らしい発言の顔を立てて差し上げるべきではないでしょうか?


(全文は以下に)
「駐日韓国代表部大使がマッカーサー連合軍司令官に伝えた在日韓国人法的地位に関する見解」
(1949年10月7日)

1.連合国、特に米国の犠牲的偉大な闘争により日本の軍国主義侵略の毒牙から解放された国家は韓国・中国をはじめとして実に10数ケ国になるが、特に大韓民国の開放はアジア全体の民主化の嚆矢であり、日本国の侵略が崩壊した決定的な象徴であると同時に、大改革的な政治意義を伴うものである。
閣下もご存知の通り、大韓民国は日本の侵略政策の第1段階であり、日本はこれを起点として大陸、ないしは全世界まで侵略を拡大し、このたびの世界大戦を招来したのである。日本はこのたびの侵略戦争を前後して徴用、徴兵、その他の美名のもとに直接、間接に多数の韓国人を日本に強制移動させ、終戦時には実に百万余命の同朋が帰国してもいまだに約60万名が在留している。
ところで、この大韓民国国民の日本における正当な権利の援護は今後大韓民国の発展に大いに寄与すると思われ、また日本民族民主化の成否にもひとつの試金石になるだろう。以上の観点から在日大韓民国国民の生命財産を保護する責任を担ってる本大使は、在日大韓民国国民が日本で保有する法的地位に関し閣下の大英断を要望するものである。


2.大韓民国国民は正当な連合国人である。大韓民国は1910年から1945年に至るまでに実に36年間に亘り日本の侵略を受けたが、3千万人の大韓民国はこれに屈せず一致団結して国内はもちろん国外でも昼夜を問わず偉大な民族闘争を展開してきた。
1919年大韓民国臨時政府が樹立され、このたびの開放に至るまで連合国側に大韓民国臨時政府の外交連絡機関を設置し、連合国、特には米国とは密接な関係を持ち、対日武力抗戦を展開した歴史的事実をしてきせざるをえない。いわゆる韓日合併条約というものは、3千万の大韓民国はひとりとて承認しなかったばかりではなく、侵略国日本の武圧により一歩的に仕組まれた行為であり、大韓民国韓日合併条約を契機として敢行された日本の軍事的帝国主義の弾圧のもとで厳然として存在した。従って、大韓国民は1時として日本国籍を取得したこともなく、3千万の白衣民族があくまでも大韓民国の国籍を確保してきたということは国際法上明白なのである。


3.韓日合併条約は日本の一方的な行為であり、大韓民国はもちろん、隣国の中華民国もこれを認めてない事実、そして3千万同胞は36年間に亘り、中国とその他連合国よりも先だって武力による日本との戦争行為を強行(例:青山里戦闘)する一方、国内でも非暴力抗争(例:3.1運動、6.10万歳事件、光州学生事件)を展開した多くの歴史的事実を見ても今回の日本に対する戦争は大韓民国が多大な人的、物的犠牲のもとに最も長期間に渡って戦ったと言えるものであり、連合国、特に米国の参戦により最終的段階である開放に至ったものである。このように見る時、大韓民国人はその所在の如何を問わず連合国民としての待遇を正統的に受けるべきであり、日本の戦争目的で強制的に渡日させられた同胞達が誰よりも先に連合国人の待遇を堂々と保有するものだと見るものである。


4.一説によれば、大韓民国韓日併合により日本国籍に入ったものであり、講和条約までは日本国籍保有を継続するものとし、大韓民国の領土は日本の分譲地であるという前提のもとで大韓国民を分譲地の人民と軽視し、今日にいたっては在日同胞に対し最初から定住するとする自由意思により渡日して来たという見解から、第1次大戦の独逸の分譲地における国籍選択問題と同一視できると言うが、これは大韓民国を故意に謀略する日本人学者の悪毒な詭弁にすぎない。
なぜならば、韓日合併条約により日本国籍を取得しなかったということは前記した通りであり、仮に一時的にせよ日本国籍を取得したとしても大韓国籍と2重に取得したのであり、開放と共に日本国籍は離脱されたのである。すなわち、日本がポツダム宣言を無条件に受諾し、1945年9月2日に降伏文章に調印した事実により日本の統治権は連合国の総司令官である閣下に帰属され、連合国の日本占領は歴史上前例の無い長期間の特殊なもとで継続されてる現在、今後予想される対日講和条約は従来の国際法上に見られるものとはかなりその性格が異なるということを認識しべきであろう。それはすでに大韓民国が対日講和条約の締結以前に多数の国家の承認により誕生したという事実であり、またそれゆえに講和条約が成立するまでは在日大韓国民が日本国籍を所有するなどとは不当千万というものである。
1948年大韓民国政府樹立と同時に当然のことながら在日大韓国民は母国の国籍を創設的ではなく宣言的に回復し、国連からの承認も国際上確認され、日本国籍は開放と共に完全に離脱されたのである。また、大韓民国の領土も日本の分譲地ではないということは多言を要しないところであり、在日同朋も徴兵、徴用、その他各種各様、直接間接、あるいは有形無形の政治的、社会的、経済的、軍事的なあらゆる弾圧によりやむえず渡日して来、終戦後も事情により在留を継続しているのに過ぎず絶対に初めから定住意思により渡日して来たのではない。従って国籍選択権云々はやはり絶対に不当な見解であると論断せざるを得ない。そして、在日大韓国民人のなかに日本国籍の取得を希望する全くないとは言えず、万一いたならばそれは単純な”帰化”問題であり、国籍選択権と混同して錯覚してはならない。


5.連合司令部が大韓民国人に対し1946年2月19日付けで「刑事裁判に関する再審査特例」を設置したのは、在日大韓国民が外国人だと意味する特例だと見る。歴史的前例を見ても第1次大戦後高唱した米国のウィルソン大統領は、いわゆる「平和に関する14ヶ条」を発表し、その中で「近代50年に亘り世界平和を危うくした”アルザス・ロネール”に対する独逸の非行を是正させるのが平和へのひとつの条件である」と述べ、「ベルサイユ条約」において”アルザス・ロレーヌ”に関する規定の前文に、「仏国側に関しては、祖国から開放された人民らの希望に対し、1871年独逸が敢行した非行を是正する為の道徳上の義務を認定する・・・・・」とし条約第53条と54条で仏国籍の当然復帰を宣言し、独逸側が主張した独逸席の取得と選択権の実施を断固と否認した点、その他第条約26条、第60条、第63条等の趣旨は韓国人の国籍問題に関し明白な指針となると見る。
要は、大韓民国民は国際法上からも国際社会の条理理念からも当然連合国人としなければならないということである。特に大韓民国が樹立され、1948年12月12日、国連においていくつかの反動国家を除外し、大多数の民主国家群から圧倒的な承認を受け、国連加入を目前にしている現実を見ても、それはあまりにも当然なことである。


(在日本大韓民国居留民団発行「民団30年史」68〜69頁、岩崎美和子訳)