ラベルの向こう側

 私も玄倉川の岸辺さん経由で「世に倦む日々」を覗かせていただきました。例の「STOP THE KOIZUMI」を掲げているところです。全部などは無理ですが、過去ログを含めてそれなりに読ませてもらい、それでもこの方のおっしゃる「改革ファシズム」というものがいまひとつ実感を以って響いてきません。それは新自由主義であり、対米従属路線であり、マスコミは皆そのファッショの拠点となり、強固な独裁政権によって日本経済は米国資本による植民地支配を受け…。いったいどこの国の話かと思ってしまいます。


 この方にお伺いしたいなと思ったのは、小泉氏の「いいところを三つ」挙げることができますかということです。本当にいいところなど無いと思われているかもしれませんので、「支持されている要因を三つ」でも結構です。おそらく一つも挙げられないんじゃないでしょうか(単なる憶測ですが…)。


 批判する相手が誰からも相手にされていないような人ならともかく、それなりの支持を受けているのでしたらその支持の理由がわかるようでなければまともな批判は難しいと考えます。憎しみで目が曇っている時に、有効な批判など期待できないでしょう。少なくともそれに勝つ(ストップさせる)つもりでいるならなおさらです。
 なぜ彼が衆院選で大勝できたのか。それを問わぬままファシズムだのボナパルティズムだのとラベルを貼ったところで、真剣に戦っていることにはならないと思います。


 これはたとえば石原知事批判の方々にも問いたいものです。前回の都知事選で石原氏は308万票を獲得し、その得票率は70%にのぼりました。他の候補者の名前をまだ覚えてらっしゃいますか?*1ほとんど石原知事の一人勝ちだったのです。
 個人的には、これほど悪し様に言われる都道府県知事はめずらしいと思います。何かにつけ目の仇にされたような批判にさらされている観があります(放言も多いとは思いますが…)。しかしなぜ彼が支持を受けたか、そして今も受けているかについて、批判派の方は真剣に考えておられるでしょうか?


 小泉氏の支持される点、石原氏が人気を集める点などに思いを至らせないとき、その批判者の方はなぜ彼らが選挙で勝利したかについて合理的な説明ができないようになります。そうなると残された説明としては「選挙民が馬鹿だった」というものしかなかったりするのです。また自分でもその合理性が弱いかなと思うと、今度は彼らがメディアを取り込み、その「宣伝」によって勝利したのだという自説の補強が行われます。「愚民」が「洗脳」されて、あり得ないことが起った…そういう図式の完成です。
 こういう杜撰な説が説得力を持つとは傍で見ていて思えないのですが、結構自分ではお信じになっていたりするようです。でもこれが周囲の人に伝わらないと、そういう方は同じような考えの人をネットなどで募ります。自分でも信じ難いようなものに信を置き続けるのは結構難しいのです。一人でも多くの「同志」を見つけてその人たちと一緒になっていなければ、自分すら説得できないんですね。こうしてそこにお集まりの皆さんは、大体こういう同じ心持ではないかと思います。いわばお互いがお互いに寄り掛かる形で、何とか自分の信を守ろうとされているのではないでしょうか。


 そして、もしかしたら次に現れてくるのは、自分の信念が受け入れられないのは「敵」が自分を妨害しているからなのではないかという疑心暗鬼でしょう。ここまで行くと、すでに「愚民」呼ばわりした普通の方々との間の溝は、全く埋め難いものになっているはずです…。


 一般論として、ラベリングで一番危ういのはこういう思考停止ですね。考えを整理するために、人はある程度のラベリングを必要とするのは確かです。しかし一度ラベル(レッテル)を貼ってしまうと、よほど意識的にしないとそのラベルの向こうは考えてもみなくなりがちです。
 サヨクと言い、ウヨクと言って、それでその自分がラベルを貼った人たちを片付けてしまうと、すでに新しい関係など構築しようにもできなくなっているはずです。それはあまりにもまずいというか、もったいないのではないかと私は思います。


 自分の考えを強く持つ、そういう信念は結構ですが、時にその信念を離れて虚心に自分の「敵」を見つめることも大事なのではないかと考えておりますし、ささやかにですが自分では実行しているつもりでいます。そして世の中には「政治的」でない人間関係もたくさんあるものだと、それは確かに信じています。

*1:東京家政大学教授の樋口恵子氏(無所属・民主、社民、みどりの会議など支持)と若林義春氏(共産公認・共産党東京都委員長)あたりの名前でさえ思い出すのが難しいくらいです