大学について
「大学入試の改善について (答申)(平成12年11月22日大学審議会)」より
現在の大学=国民の半数近くが進学する教育機関
平成12年において,大学への進学率は49%を超えており,更に,高等専門学校,専門学校も含めた高等教育機関全体で見ると,その進学率は約71%にまで達している。
一方,近年の少子化の進行により,18歳人口は,近年のピークである平成4年には205万人であったものが,平成12年には151万人まで減少している。
そして,平成9年1月の本審議会答申「平成12年度以降の高等教育の将来構想について」が,平成16年度までに臨時的定員の半数を解消した場合,平成21年度には収容力(入学者数を全志願者数で除したもの)は100%に達すると試算しているように,収容力の観点からは,大学への進学を希望する者がいずれかの大学には入学できるようになりつつあり,全体として見れば,既に大学入試は過度の競争ではなくなっている。
このように,既に大学は,特別の教育の場ではなく,国民の半数近くが進学する教育機関となっている。
1980年代、私が大学にいた頃のある授業で「大学進学者が短大を含めて3割。専門学校なども含めると5割を超えている」という話を伺ったことがあります。その時でも多いものだと思っていましたが、上記答申の記述ではすでに大学進学者自体がほぼ5割、高等教育全体で7割を超えているとのこと。これだけ入学者が多いと、高等教育という言葉の意味を問い直していかなければいけないのは当然でしょう。
そうは言っても私個人が何を言えるかというとそれはほんのちょっとしたこと。おいおいいろいろ考えて行きますが、今日は二つだけ書いておきたいと思います。
単位
たとえば後期15回の「講義」課目(1コマ90分・半期2単位)があったとして、どれだけ勉強すべきかおわかりですか? 普通(というか私も昔は 笑)、15回のうち四分の三の出席がいるとして12回は出席、またそのうち一回は試験になるから実質11回の授業、したがって
90分×11回 =990分(16.5時間)
でもどうせ学会か何かで1コマぐらいつぶれるし、出席を重視しないクラスならもっと休めるだろうな。情報が集められるなら、試験一発勝負の授業だってありだろうな…とか思っていました。
とんでもない間違いです。わが国は大学において単位制度を採っております。そして何よりこの習得単位は海外と互換、つまり等価値とみなされているわけです。ですから、あまりに「実質」がひどくなってくれば、そのうち単位互換とみなされなくなってしまう虞もあります。だから知っておきましょう。講義課目の単位認定基準でいけば、
2単位が認定されるのに必要な学習時間 =5400分(90時間)
これがグローバル・スタンダード(笑)の単位認定基準なのです。
ちょっと説明しますと、1コマの授業は大体90分で行われますが、これは1校時(2時間=120分)とみなされています(ちょっとお得)。でもこれだけでも120分×15回=1800分(30時間)にしかなりません。
実は講義課目は、授業と同じ時間だけの予習(120分)と復習(120分)が行われているという前提で単位が認定される仕組みなのです。これで
(予習120分+授業120分+復習120分)×15回 =5400分(90時間)
となるわけです。何と驚くべき前提ではないですか(私も実は卒業した後に知りました…)。(参考…「単位制度」で検索)
大学と学生
他人様のことは(本当は)とやかく言えませんが、敢えて大学側に立ってこの状況を見てみると、ろくろく勉強しない学生に単位を与えているという現実があります。ちょっと前まではこれに対して、もっと厳しくすべきだという意見が多く聞かれました。そしてその論拠として「不良品を社会に出すわけにはいかない」的なことすらおっしゃる向きもあったのです。 比喩的に「製造物責任」(<PL法)が問われているということですね。確かにこれは一定の説得力を持ちます。
しかし昨今、上の答申などでも触れられていた「少子化」というものがじわじわ大学側の認識を変えつつあります。そして最近しきりに言われるのが「学生は客である」という視点の変更です。学生を製造物と捉える見方は大学主体のもの。そして学生を主体として考えれば当然それは「お金を払う客」ですから、もし「お客様」が十分な能力を習得できなければその責任は「大学−教員」の側にある、ということになってきます。
どちらが適当と思われますか?
私は結局どちらの視点もなければいけないというぐらいの判断しかできません。でも、後者(サービス業)の視点が喧伝される中、前者(工場)の声が小さくなって来ている(ような気がする)のには危惧を感じています。これからの大学はどうなっていくのでしょうか?