ウヨクサヨク論関係

 とりあえず最近興味を持った記事などから
 まず圏外からのひとことさんの「ルールの上の競争とルールを巡る闘争」

 mumurブログさんの「保守主義者・愛国者」VS「反反日・反左翼」という分析のポイントとなる部分をfinalventさんがうまく切り出しているが、「保守主義者・愛国者」は「反日」の人と同じ土俵の上で「競争」しているが、「反反日」の人は、彼らが磐石のものと信じているルール自体を笑うという「闘争」をしている。彼らはそれを「闘争」として認識できておらず、反撃が旧来の「競争」の枠組みに収まっているので、何かやるほど多くのネタを提供してしまうのである。


 「闘争」をする上では、自分と違う価値観の存在を容認できる方が有利である。相手の存在を認識し、その価値観と自分の価値観の違いをよく理解していれば、その違いを戦略的に利用できる。ある時は、相手のロジックに乗ってそれを逆手にとって自分の主張をし、ある時は、相手が無意識に立っている地盤を崩す攻撃する。変幻自在に相手の世界観を崩壊させていく。


 「競争」をする時には、ルールを意識するより無意識的に反応できるように体で覚えてしまった方が有利だ。しかし、それは「闘争」に習熟した相手には通じない。通じないというより、むしろ不利になる。


 一部で白熱したやり取りを生んだ小田嶋隆氏の偉愚庵亭慰憮録の記事「ウヨ曲折」

 …現在あらわれている「右傾化」は、必ずしも「反動化」や「保守化」ではない。
 というよりも、ここで言う「右傾化」は、従来の区分でいうところの「右翼」「左翼」とは無縁な座標軸の上で起こっている現象であって、とすれば、正確には「右傾化」ではない。
 あえて名付けるなら「強硬化」「粗暴化」ぐらいな傾向だと思う。
(中抜き)


 左翼思想は「悪い子の思想」から「よい子の思想」に転向したわけだ。
 ここが一番大切なポイントだ。
(中抜き)


 「上から押しつけられた《男らしさ》や《愛国心》を敢然と拒否して、あえて卑怯者の汚名を着て身につけた個人主義」は、いまの若いヤツには、わかってもらえないわけです。

 コメント欄で小田嶋氏は

 私の主張の骨子は、
「本来は体制転覆を志向する危険思想であった左翼の主張が、時代とともに変質して、人権主義、平和主義のみたいな人畜無害のスローガンに化けた」
 ということです。
(中抜き)
 左翼思想および左翼の運動は、戦後社会の一角に一定のリベラルな風通しの良さをもたらしたのかもしれません。しかしながら、大筋として、サヨクは、体制に組み込まれるうちにヒヨってファッション化し、最終的には、白髪化、ゾンビ化して現在に至っている――というふうに、私は判断しています。

 とまとめておられます。私としては次の部分に頷きました

 「嫌韓」「反中」の背景には、左翼陣営が、党派的なつながりと歴史的な成り行きから(つまり、本来の思想性とは別の理由において)親韓、親中および北朝鮮擁護の立場に立ってきたことと、「反国家主義」「反宗教主義」の見地から、靖国参拝に反対していることが、厭な感じでシンクロして、結果的に「土下座外交の先導役」「特定亜細亜諸国の利益代表」みたいな役回りになってしまっているという、近年の不幸な状況がある。ま、どうしようもないけど。


 この記事にはBUNTENのヘタレ日記さんの「サヨ(左様)か?」などのいくつかの反論が…
 そしてBUNTENさんの反論を引いて、すなふきん@ニート・ひきこもり・失業ポータルネットさんが「左翼から右翼へ〜反抗思想の変遷」

小田嶋氏の指摘はしかし、そうした左翼的思想の体制化は何も最近突然始まったことではないことからすれば、少し無理があるような気もする。そんなのはむしろ高度成長期の福祉社会の一般化とともに隆盛を極めていたわけで、55年体制革新政党への一定の支持を考えれば、今はむしろ体制内も含めて全般的に保守化していると思う。
(中抜き)


BUNTEN氏のように貧乏が左翼の原因という発想も一般化できないと思うのは、今現在フリーターやニート問題で貧乏な若者が増えているのに、そうした層にこそむしろ右翼的言説が広がっているように感じるからだ。これは逆ではないかと。さらに戦前の昭和恐慌期以降やナチス台頭の社会状況を回顧すれば、貧乏が必ずしも左翼思想の温床になるとは限らず、右翼=排外主義的ナショナリズムの温床になる可能性も高いといえる。

 と双方に疑問を。
 さらにこれに対して猿虎日記さん■[愚考]ウヨーサヨーする時代の中で

 というわけで、かつての左翼は現在思われているよりも体制的だったし、かつての保守(体制)は、現在よりも左翼的だった。つまり、現在の右傾化は、体制となった左翼への反発から生じているのではなく、むしろ保守の変質というか、右派そのものが右傾化している、ということではないのか。その点で小田嶋氏の見立てはマトをはずしている。
* * *
 では、現在の、右傾化はいったいどこから生じたのか。つまり、現在の、余裕のないいわば新しい右派、新しい保守はどこから生まれてきたのか。


…つまり、「おしゃれや高級ブランド、女の子と遊んだり享楽的な傾向が強く、新人類と揶揄されたように今よりむしろ個人主義的」だった「若者」のその後なのです。現在実際に裕福であるかどうかは別として、中産階級的感性が染みついてしまっている世代です。現在の「右傾化」を静かに担っているのがこの人々だと思うのです


 読んでいるとかなり皆さん静かに熱く、けっこうおなかいっぱいになってきます。続きはまた後ほど…

続き

 上に挙げただけでなくいろいろな方のご意見を伺っても、基本的にかつての区分で言うところの左翼だった部分が細分化し、コミュニスト市民運動新左翼運動(の残存)・反米リベラル等々に(一部を重ねながらも)分かれていき、また全体としての勢力も縮小したという認識は共通していると思います。ただ左翼が小さくなった分だけ「社会が右傾化している」とか「ネット右翼」が増えているとかいう見方をされる方は、左翼に非ざれば右翼というようなちょっと旧弊な二項対立思考が未だにあるようにも思われます(がどうでしょう)。
 そこらへんの感覚、かつて右翼と言われていたような層が増えたのではないという考え方も、上記引用ではmumurさん、finalventさん、essaさん、そして小田嶋さんはお持ちのように見受けられますし、私もその部分には全く同意です。おそらくかつてなら左翼陣営にいたような人の一部と、左翼でも右翼でもなく存在した人の結構な部分が新しく増えた(ように見える)パートを構成し、それを「左」から見ると「右傾化」なんだろうなと私は思っています。
 まあそれが単に故無しともできないのは、かつての左の流れに乗られる方と異なる認識、異なる価値観や行動様態がその新しい層に見られるからで、それは決して一枚岩の集団ではありませんが、いくつかの特徴をともにしているようにも見えるんですね。
 mumurさんの言い方では

つくる会支持者」とか「ネット右翼」とかでカテゴライズするのは結構だけど、それだと本質を見誤る。
そのように呼ばれる人達は、実は二つに大別される。


一つは、「保守主義者・愛国者」。
語弊があるが、まあ右翼といってもいい。
もう一つは、「反反日・反左翼」。
ある意味、反日・左翼が好きでもあるのだが。
電波好きとも言う。


両者の違いは、次のようなものである。
 「保守主義者・愛国者」は、言うまでもなく日本及び日本の歴史・文化を愛している。
日本を愛してるが故に、日本の国益を邪魔する反日国家や反日活動家に対して攻撃を加える。彼らの究極の目標は、日本を良くすることである。
 一方で「反反日・反左翼」は、日本の歴史・文化や伝統よりも、反日国家や反日活動家そのものに興味の重点がある。反日国家や反日活動家の動向を観察することそれ自体が目的。観察という域を飛び出して反日国家や反日活動家を攻撃することも多いが、それは「日本を良くしたいから」ではなく、その反応を見て楽しみたいからであり、やはり広い意味で観察と言える。反日国家や反日活動家の勢力が衰えて、結果的に日本の国益に適うことがあるかもしれないがそれはあくまで結果に過ぎず、目的ではない。

 finalventさんも概ねこれに賛同されているよう。そしてこれらを受けてessaさんは「反反日の人」という言い方で、

 彼ら(引用注:「保守主義者・愛国者」と「左翼・反日」)が磐石のものと信じているルール自体を笑うという「闘争」をしている。

 と語られるわけです(詳しくは一番上の「圏外からひとこと」の記事をご参照ください)。


 こういう細かい定義に入ると、私はmumurさんのおっしゃることに全く同意と考えているわけではないのですが、それが「右翼」でもなく「右翼の流れ」でもないというところの認識は一緒だと思われます。
 私自身が言葉でうまく捉えきれていないのですが、この新しい層をどう言葉にするかは、案外それを「右傾化」として見て、自分たちと違うと思われている方々のご意見が参考になるのではないかと予感しております。そういう意味では、上記引用の後ろのお二方の議論などはとても興味深いものです。


 右翼・左翼という基準が妥当性を持っていたのは相当昔のことだと思われます。すでにこの言い方では現実を捉えきれていないというのは、多くの方が認めるところでしょう。そしてantonianさんがコメントをつけてくださったように、基本的には対立軸の多様化によって、かつての区分が意味をなさなくなってきたということでもあるとは考えています。
 延々と書いてきて結論無しというのは実に心苦しいのですが、だらだら長くなりすぎましたしとりあえずこの議論については継続ということで、このぐらいで…。(ご意見(というかヒント)をいただけましたら幸いです)