一つの仮説
反日を主張する韓国人と、それに反論する日本人の議論において、なぜ統一の見解が導かれないのでしょうか?合理的に説明してください。
何度か答えようと思ったのですが、結局答えていません。こんなことを書こうと思っていました。
韓国(朝鮮)が国民(民族)国家になってきたのは、日韓併合以降のこと。それ以前の 前近代的身分制国家では「近代的国民」と呼べる存在がいなかったか、いてもごく少数 だった(萌芽的状態)。また同様に国民国家統合のモチーフとなるべき「民族」はほと んど意識されていなかった。 日本によって国民意識や民族意識に目覚めてきた彼らには、その段階から日本に併合 されているという状態があった。その時に進むべき道は「そのまま日本人になってしまう」 「日本を排除して独立国となる」のどちらもあったが、前者の道は日本の敗戦によって 中断され、後者も(機運、実力ともに不足していたため)自力で行うことなく、連合軍に よる突然の「解放」がもたらされただけだった。 ナショナリズムを育て自力解放に至ったのならばまだしも、唐突にアイデンティファイ すべき自分たちの国というものを与えられた形になった彼らは、急場しのぎの自意識の 形成しかできなかった。 それは「日本の否定(過去の自分の否定)による自国(韓国・朝鮮)意識の形成」 だったと思われる。 日本人になりかけていた自己はそこでは真っ先に否定されねばならないものであった。 そうしなければ新しい自分になれない。これが集団的に現れたのが「親日派の糾弾」で ある。北朝鮮ではこの試みは一応の成功をみたが、韓国ではこれを徹底した場合人材が いなくなってしまうのでやや曖昧にその中核に「かくれ親日派」が残された。 また日本からの自立は自分たちが行ったという幻想がどうしても自我の形成に必要で あった。それゆえ日本からの独立(光復節)は8月15日という日に象徴的に設けられ、 実際に連合国からの独立させてもらった日(1948年8月13日)は隠蔽された。自力による 自立という幻想は(薄々そのうそ臭さに自分で気付いているだけに)どうしても補強した いことである。金日成の抗日パルチザン伝説が南でも青年の心を引くのは(また「日本 軍将校」であった朴大統領のへの若者の反抗心は)、こういうところに淵源があるように思う。 さらに、過去の自分たちの日本との関係は「支配−抵抗」である必要があった。良く してもらったとか日本人になりかけていたとかいう(相当数の人が心に抱いていたであ ろう)過去は許されないものであった。そこに目を向けると、自分たちが日本に打ち勝 って独立したという「偽りの自分史」が崩壊してしまうからである。それゆえ日本統治 時代は暗黒の歴史として再描写され、三一独立運動などを過大評価し、七奪とかいう フィクションが声高に語られた。 そして自分たちが国民意識や民族意識に目覚めたことに「日本の恩恵」があるという ことは否定されなければならなかった。そこで持ち出されたのが檀君神話であり、半万 年の民族史観という何の史料的裏づけもないスローガンであった。 以上のような経緯を抱えて「韓国・朝鮮人」になった(なっている)人々と歴史がらみ の話をして「合意」が形成されるだろうか? 彼らにとっては「日本の言い分を認める」 ことがすなわちアイデンティティー・クライシスを迎えかねないことなのだ。
質問者の方は、あえてナイーブに「情報がお互いに得られるような状況であれば、理性によって合意などできるはずなのに…」という前提で質問されていると思います。しかし私の仮説は、彼らがなぜ非合理に動かなければならないかを「合理的に」説明するものです。
仮説はあくまでも仮説。検証できていないということで回答をためらいました。かつてヤフーの掲示板で、私は「韓国(朝鮮)が国民(民族)国家になったのは、日韓併合以降である」という命題の検証をしようとあれこれ資料を読んだり、韓国の人と論争したり、日本人どうしでやりあったりもしていました。結局その試みは中途で続かなくなってしまったのですが、この着想自体はずっと持ち越しています。
上の仮説は集団的自我の形成史として私が考えたフィクションと言えばそうです。個々人の韓国人や在日の人が皆同じ心の働きをしているとは考えていません。ですがなぜ韓国と日本の間で統一の見解が導かれないのかについては、合理的に「説明できている」と思うのです。
日本を(もしくは日本との関わりの近過去を)否定することで韓国人・朝鮮人としての自分がつくられていますから、結局自信をつけてもう一度自我を再構築しない限り、どこまでいっても日本や日本とともにあった過去を受け容れられないのではないでしょうか?