狂言『鬼瓦』

 どこぞの狂言師の母御前が「鬼瓦軍団」と言ったとか言わないとか。『鬼瓦』は狂言の演目の一つ。文化の日にちなんで、それをご紹介…。

『鬼瓦』
 長らく都にいた大名が、訴訟沙汰で勝って国許へ帰ることになる。これも頼っていた薬師如来のおかげと、太郎冠者を連れてお参りに。拝んだあとにその御堂をよく見て回ると、破風の上に鬼瓦を見つける。
 大名はそのいかつい鬼瓦に国許に残してきた妻の面影を見て、会いたさに涙する。しかしどうせもうすぐ帰って会えるのだからと太郎冠者に諭され、気を取り直し、二人で大笑いのうちに退場する。

 シテ…大名  アド…太郎冠者

大名   遠国に隠れもない 大名です。ながなが在京致すところに、訴訟ことごとく叶い、安堵の御教書をいただき、新知を過分に拝領いたし、その上 国もとへのお暇(いとま)までを下されてござる。このようなありがたいことはござらぬ。まず太郎冠者を呼び出だいて、喜ばしょうと存ずる。
 ヤイヤイ 太郎冠者あるかやい。
太郎冠者 ハアー。
大名   おるか おるか。
太郎冠者 ハアー。
大名   いたか。
太郎冠者 お前に。
大名   念無う早かった まず立て。
太郎冠者 畏ってござる。
大名   汝を呼び出だすは別なることでもない。ながなが在京するところに、訴訟思いのままに叶い、安堵の御教書をいただき、新知を過分に拝領したは、何とありがたいことではないか。
太郎冠者 かねがな かようのお仕合わせを待ち受けますところに、これは一段とありがたいことでござる。
大名   それよそれよ それにつき、まだ汝の喜ぶことがあるやい。
太郎冠者 それはまた、いかようなことでござる。
大名   国もとへの、お暇までを下されたは。
太郎冠者 これは重ね重ね、おぼしめすままのお仕合わせでござる。
大名   そのとおりじゃ。さて、かように何事も、思いのままに叶うというも、日ごろ因幡堂のお薬師を信仰するによって、その御利生でかなあろう。国もとへ下ったならば、参詣することもなるまいによって、お礼お暇乞いのため 参詣しようと思うが、何とあろうぞ。
太郎冠者 これは一段とようござりましょう。
大名   それならば おっつけて行こう。供をせい。
太郎冠者 畏ってござる。


大名   サアサア 来い来い。
太郎冠者 参りまする 参りまする。
大名   さて、国もとでは かようなことは知らいで、きょうかあすかと、待ちかねているであろうぞ。
太郎冠者 仰せらるるとおり、今か今かとお待ちかねでござりましょう。
大名   戻ってこの仕合わせを話いたならば、さぞ喜ぶであろう。
太郎冠者 殊ないお喜びでございましょう。


大名   イヤ、何かといううちに はやお前(※神仏の前)じゃ。
太郎冠者 まことにお前でござる。
大名   汝もこれへ寄って拝め。
太郎冠者 畏ってござる。
        (拝礼)
大名   さて、いつ参っても、しんしんとした殊勝なお前ではないか。
太郎冠者 まことに しんしんと致いた殊勝なお前でござる。
大名   さて みどもが思うは、このたび仕合わせよう国もとへ下るも、ひとえにこのお薬師のおかげじゃによって、国もとへ下ったならば、この薬師を勧請しようと思うが 何とあろうぞ。
太郎冠者 これは一段とようござりましょう。
大名   それならば これほどにはならずとも、この御堂は恰好のよい御堂じゃによって、この恰好に建てたいほどに、汝もここかしこへ気を付けて、よう見覚えておけ。
太郎冠者 何がさて 畏ってござる。
大名   さてもさても 結構な御堂じゃなあ。
太郎冠者 さようでござる。
大名   あの欄間の彫物などは、殊の外手の込うだ細工じゃなあ。
太郎冠者 よい細工でござる。
大名   とてものことに、うしろ堂へ廻ってみょう。
太郎冠者 ようござりましょう。


大名   サアサア 来い来い。
太郎冠者 参りまする 参りまする。


大名   この御堂は、飛騨の工匠が建てた御堂じゃというが、どれから見ても、なりのよい御堂ではないか。
太郎冠者 まことにどれから見ましても、なりのよい御堂でござる。
大名   ハハア、虹梁・蛙股・破風…。

大名   ヤイ 太郎冠者。
太郎冠者 何事でござる。
大名   あの破風の上にある物はなんじゃ。
太郎冠者 こなたはあれを御存じござらぬか。
大名   イイヤ 何とも知らぬ。
太郎冠者 あれは鬼瓦でござる。
大名   何 鬼瓦。
太郎冠者 さようでござる。
大名   ウーン、鬼瓦という物は いかめな物じゃなあ。
太郎冠者 さようでござる。
大名   あの鬼瓦をようよう見るに、誰やらが顔に よう似たではないか。
太郎冠者 イヤ申し、あの鬼瓦に似た顔があるものでござるか。
大名   イヤイヤ、誰やらが顔にそのままじゃと思うたが、誰であったか知らぬ。
      オオ それそれ(泣)。
太郎冠者 ヤ これはいかなこと。 イヤ申し、こなたは何をそのように嘆かせらるるぞ。
大名   さればそのことじゃ。あの鬼瓦が、誰やらによう似たと思うたれば、国もとへ残いておいた、女ども(※自分の妻を呼ぶ言葉)の顔にそのままじゃいやい(泣)。
太郎冠者 まことに さよう仰せらるれば、どこやらがよう似させられてござる。
大名   あの 目のくりくりとした所、また 鼻のいかった所などは、よう似たではないか。
太郎冠者 いかさま よう似させられてござる。
大名   また あの口の、耳せせまでくゎっと引き裂けた所は、常々汝を叱る時の顔にそのままじゃいやい。
太郎冠者 なるほど 常々叱せらるる時のお顔にそのままでござる。
大名   この所で 某が女どもを、誰見た者もあるまいに、あのようによう似るというは、ふしぎなことじゃなあ。
太郎冠者 まことにふしぎなことでござる。
大名   みどもはあの鬼瓦を見たれば、しきりに女どもがなつかしうなったいやい。
太郎冠者 ちかごろ ごもっともに存じまする。(大名 泣)

太郎冠者 イヤ申し、まず お心を静めて、よう聞かせられい。このようにお仕合わせよう、おっつけお国もとへ下らせらるれば、そのまま(※すぐに)御対面のなることでござる。嘆かせらるるところではござりますまい。御機嫌を直させられたならば ようござりましょう。
大名   ウーン、まことに汝が言うとおり、おっつけ下れば、そのまま会わるることじゃ。その上 このように仕合わせよう下るに、嘆くところではあるまい。機嫌を直いて、めでとう どっと笑うて戻ろう。
太郎冠者 ようござりましょう。
大名   それへ出い。
太郎冠者 畏ってござる。
大名   まだ出い。
太郎冠者 心得ました。
大名   つっと出い。
太郎冠者 ハアー。


大名   さあ笑え(二人 笑)。
    (退場)