しづやしづ
「義経」ほとんど初めて観ました。次回は「しずやしず」だそうですが、静御前が頼朝と政子の前で舞を舞うエピソードは『吾妻鏡』とか「静や静」で検索していただければわかるとして、ちょっとばかりこの歌の解釈を…。仮名遣いを正しくすれば、これは
しづやしづ しづのをだまきくりかへし むかしをいまになすよしもがな
となります。「しづのをだまき」についてですが、まず「しづ(倭文)」は日本古来の織布を指し、栲(たえ)や麻、苧(お)などを染めて乱れ模様に交ぜ織りにしたものです。をだまき(苧環)はその材料の麻を糸に紡いで巻いたもの。「しづのをだまき」という組み合わせで、「繰る」の序としてよく使われるものとなっています。
この序を用いた和歌としては『伊勢物語』の
いにしへのしづのをだまきくりかへし 昔を今になすよしもがな
(昔の倭文織の苧環を繰るように 繰り返し(手繰りもどして) もう一度仲の良かったあの頃の二人の関係をとりもどす方法があって欲しい)
という歌がありますが、「しづやしづ」の歌はこの本歌取り以外のなにものでもありません。「よし(由)」はここでは手段・方法。「もがな」は終助詞「もが」に終助詞「な」がついたもので、願望(…であればなあ)の意を示します。
最初の「しづ」の繰り返しにはもちろん「静御前」の「しづ」が掛けられているように思えますから、あわせて意を取るとこの歌は
義経と仲の良かった、そして静と義経の二人で幸せだったあの昔を取り戻せればよいのに
と解釈できます(ほとんどのところでこれが静御前の義経を追慕するという解釈がなされています)。しかしこの歌は
義経と頼朝の二人の兄弟が仲の良かった、あの昔が戻ってくればよいのに
というような、頼朝への直訴、あるいは諌めの歌ともとれるはずです。それゆえ頼朝の癇に障ったとみるのが自然なのではないかと思っております。昔古文を教えていた私の独り言のようなものですが…