12月8日に

 今日の日付は真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まった日と記憶しておりますが、世代によってはジョン・レノンが死んだ日と思い出すかもしれません。私はいわゆるビートルズ世代よりは下で、それを聞き始めた頃には解散しておりましたので普通にスタンダードの楽曲として聞いていたぐらいです。それでもレノンが殺されたというニュースにはびっくりしました。当時はアメリカの大統領が暗殺されたぐらいのニュース・バリューがあった(それぐらい騒がれた)ような印象があります。それからも25年。そして開戦からは64年です。


 今年は敗戦から60年、そして日露戦争から100年と節目の年でもありますのでそちらに目が行き、戦争開戦関係の報道はメディアでもあまり大きく扱われていないような気がいたします。それでもせめてこの日を迎えたならば、それなりの感慨やコメントは言われてしかるべきかとも思います。
 この国がこの日に踏み出した一歩は、結局明治以来の大変容を社会にもたらしました。それは避けるべきであったのか、あるいは結果として必要なものであったのか、戦争での悲しい犠牲のことを考慮したとしても、せめてそれがより良い社会へつながった一歩だったとは思いたいですね。


 さて話をジョン・レノンに振りますが、彼の曲の中では"IMAGINE"が妙に抜きん出て露出が多いと思われないでしょうか? 私も別に曲として嫌いな方ではなかったのですが、後に歌詞をよくみてからは「ちょっとついていけない曲」となっております。もちろん彼の思想を一曲や二曲の歌詞で語ることなどできるはずもないでしょうが、それにしてもこの曲を好む人たちは、ほんとうにこの歌詞で語られている世界を望んでいるのかなとちょっと不安にもなります。

IMAGINE
Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today …

 ここでは天国と言いますか死後の世界(あるいは超越的な世界というもの)が打ち消されます。おそらくレノン自身がそこに信を置けなかったのでしょう。それは理解できなくもありません。しかし次の節では

Imagine there's no countries
It isn’t hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people   
Living life in peace …

 「国」というものそして「宗教」というものが否定されているようです。国や宗教は「争い」や「殺人」、「戦争」の種であるという主張がなされていると考えられるでしょう。そして単純に「国」がなければ、また「宗教」がなければ平和がやってくるかのように歌われています。

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world …

 ここでは所有(財産)というものを、脱すべき貪欲さや欲求と断じ、世界を共有する兄弟愛のようなものが唱えられています。まさに彼の夢想なのでしょうが…

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one
Imagine all the people
Living life in peace …

 夢や理想を語るのは悪くはないのですが、よくよく歌詞を見て私にはついていけないものに思えています。死後の世界とか宗教そのものがなく、財産もなく(共有され)、国というものがなく、そういうことで平和と兄弟愛に満ちている世界…。お花畑ですね。


 そしてレノンを殺したマーク・チャップマンが、レノンは金持ちであるということに気付いて怒りを燃やしていたというのも(そこだけは)何かわかる気がします。レノンが住んでいたダコタ・ハウスは、19世紀そのままの外観と内装を持った超高級アパートメントであり*1、特権階級と言えるほどのお金と人脈がなければ入居などできないところだったからです。
 レノンに殺されるべき非があったとは思いませんしその死は悼みますが、所有を悪と歌った彼が彼の所有するものによって逆恨みされ、その前で殺されてしまったのは大きな皮肉だと思います。
 ちなみに私は彼の"Happy Christmas (War is Over)"はクリスマスソングとして大好きです。なぜでしょうかね、好みなんてそんなものかもしれません。

*1:ジャック・フィニーの『ふりだしに戻る』にこれが描写されていますね。というより筋立てにどうしてもダコタ・ハウスが必要とされていました。