ジョン・レノンを殺した男
マーク・デヴィッド・チャップマンは1955年生れ。保釈申請が何度か却下されていますので、今年50歳になる彼はまだ刑務所の中にいます。彼は25歳の時ジョン・レノンを射殺しましたが、殺害の動機として『ライ麦畑でつかまえて』を挙げた時があり、主人公のホールデンのように無垢で純粋な子供たちをインチキな大人たち(phonies)から守りたかったんだと語ったそうです。
彼の母は敬虔なクリスチャンで彼もまた信仰厚く育てられました。しかし家庭は父親の暴力によって暗いものだったと言います。また彼は幼い頃からいじめられっ子で、いじめや家庭問題から空想(ファンタジー)の世界へ逃避するようになっていったとも言われています。後に彼はジョン・レノンを崇拝するようになっていました。ただしファンとしての熱狂は、レノンがインタビューで「(自分たちは)イエスより有名だ」と言ったことをきっかけに醒めたとされます。
On March 4, 1966, this quote of John's was printed in an interview by reporter Maureen Cleave in the London Evening Standard:
"Christianity will go. It will vanish and shrink. I needn't argue with that; I'm right and I will be proved right. We're more popular than Jesus now; I don't know which will go first - rock 'n' roll or Christianity. Jesus was all right but his disciples were thick and ordinary. It's them twisting it that ruins it for me."
その後のチャップマンはYMCAやベトナム難民キャンプで働きますが、それなりの評価を受けていたにも拘わらず自分は注目されていないという感じに苛まれた彼は挫折感とともにハワイのホノルルへ逃げるように向かいます。現地で自殺も考えた彼でしたが、気を取り直して自ら精神病院に入院。それなりの回復ということで退院後日系の女性と結婚したりもします。しかしその後の就職(守衛など)もうまく行かず、彼はホノルルの図書館に引き籠もります。そしてそこで、アンソニー・フォーセットによる伝記などで、彼は超高級アパートダコタハウスで暮らすジョン・レノンに再会するのです。
(かつての彼の偶像)レノンは平和でシンプルに暮らすことをマークに教えました。"贅沢をしてはならない"と。 しかし彼はレノンが人の300倍も裕福であると知ったのです。(彼は)怒りでいっぱいになりました。
「地球上で最もジョン・レノンはインチキでペテン師だ」
(John Lennon was the biggest PHONY, the biggest hypocrite on the planet...)
(ジャック・ジョーンズのインタビューより)
その時チャップマンは、自分の使命が「レノンというWizardの仮面を壊し、真実を伝えること」だと思い込んでしまいます。このインチキ野郎(Phony)から人々を守らねばならないと…。
事件後彼の精神鑑定をしたDr.ダニエル・シュオーツは、チャップマンがレノンを自己同一視していたようだと語ります。そして彼はいつも自分への憎しみ(嫌悪)で一杯だったのだが、それがレノンに向けられるようになったのだろうと言います。
ダコタ インチキな金持ち連中の住みか
暗殺を確かなものにしたのは
あの建物のせいでした
まるで「オズの魔法使い」にでも出てきそうな
何か幻想的な物語から出てきたような建物でした
(マーク・チャップマンの手記より)
1980年のその日、夕方5時頃にダコタ・ハウスの前で待っていたチャップマンはレノンに会い、この時はサインを貰ったそうです。レノンはレコーディング・スタジオに向かい、チャップマンはなおダコタ・ハウスの前で待ち続けます。
そして午後10時45分頃、白いリムジンで帰宅したレノンはダコタ・ハウスに入ろうと歩みます。一度チャップマンと目線があったその時、銃弾がレノンの身体を貫いたのでした。
(※ジャック・ジョーンズ『ジョン・レノンを殺した男』堤雅久訳、リブロポート、1995より)