日本をわかろうとしなかった中国

 ヒロさん日記の昨日の記事で紹介されていた"Why China Loves to Hate Japan"という記事を読み、特に最後の引用の一節

But until China's leaders have some new pillar of legitimacy, Liu predicts, "the Japanese will stay devils in China."

を見ながら、一つ思い出したことがあります。それは映画評論家の佐藤忠男氏が紹介されていたエピソードです*1
 木下恵介監督と言えば、『二十四の瞳』や『ひめゆりの塔』などをはじめ「反戦」、「反軍国主義」の映画を多く作られた方ですが、彼は昭和38年に「戦場の固き約束」というシナリオを書きました。そのあらすじは次のようなものです。

一人の中国人農民が日本軍の部隊に捕まり、反抗的な態度のため殺されそうになる。一人の日本軍の二等兵が彼を助けようと抗命し、二等兵は殴られるもののなんとか中国人は助かり、代わりに二等兵が中国人農民の監視役を命ぜられる。中国人は逃亡を試みるが、二等兵が自分を逃がして死ぬ気でいることがわかり逃げるに逃げられなくなる。部隊の上官はこの中国人が何か秘密を持っていると考え、それを言わせようとする。中国人は妻の命を保証してくれるならばと言い、二等兵に証人になってもらった上で適当な事を告白する。しかしもとより上官たちは中国人との約束を守る気などなく、喋らせた後で殺そうとする。約束が違うと抗議した二等兵は殺され、中国人農民も殺されかかった時、中国軍が攻撃してきて彼の命は助かる。
 中国人農民は、自分との約束を守って命を落とした二等兵の遺骸を埋葬するために、銃弾の下、妻と二人で亡骸を担架で運んでいく…

 この作品自体は当時の映画会社に戦争映画はお金がかかると没にされましたが、後に中国との合作話が浮上していたそうです。しかし最終的に中国映画界の上層部の合意が得られず、この作品は日の目を見ることなく消えてしまいました。佐藤氏によれば

 理由は、日本軍の侵略下にあった中国人が日本兵を埋葬してやるということはあり得ない、ということだったらしい。この企画がある程度合作で実現しそうだったということは、中国側にもこのシナリオでいいと考える人がいたからだと思うが、中国映画界は当時は中国政府の全面的な監督下にあり、政府の公式見解としては、侵略戦争下の中国人民にとってはたとえ個人的にしろ日本兵との信義や友情はあり得ない、あってはならない、ということだったのであろう。木下恵介は日本の侵略を反省すればこそこの映画を作ろうとしたのだが、日本兵と中国人の間の個人と個人の心の通い合いも認められないというのであればこの映画を作る意味はないとして、この企画をやめた。


 旧聞に属するエピソードではありますが、タイムズ紙の記事とあわせて読むとき、中国の政権が今のままのうちは変わらないなという感想が湧きます。中国好きという日本人は少なからずいたはずですし、60年前の戦争を反省して謝ろうとする人もいたのですが、結局はどこかで頑なに近づこうとしない一線があったということではなかったかと思うのです。政体の違いが問題なのか、メンタリティーの違いが問題なのか…

*1:『學鐙』丸善、Vol.97 No.3所収「映画でアジアと同意することの難しさ」